爺 山塊の谷々 大洞川水系 和名倉沢下流
大洞川水系 和名倉沢下流
(大洞川出合〜氷谷出合)
和名倉山の東面に喰い込む、険谷の和名倉沢
険谷なれど悪谷でなし。次々と現れる滝と滑メとに竿を振る余裕もなく、立ち塞がる峡間に又も嘆息す。 奥秩父に釣逍遥を求める者であるならば釣果はともかく、一度は高巻きは最低限度にして通ラズの大滝までは完全遡行を果たさねばなるまい。 |
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大洞川の最も下流に注ぎ合う和名倉沢の流れ込んだ処は、秩父湖のバックウオーターの辺り。 和名倉山(2036m)の東面を急斜に流れ落ちる深い谷。滑の岩盤床に滝の連続、安易な遡行は許されない、肝に銘じて辿らねばならない。 圧巻は、中流域の“通ラズ”だが、下流域も屏風瀑・弁天の滝・三階瀑・二階瀑をも含めて難所は随所だが、幽幻で美事な険谷。 左岸高くに中流の通ラズ下方に通じる杣道があってエスケープルートとして利用できる。 |
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険谷であり棲むのは岩魚のみ。釣り逍遥するには安全を期さねばならない、安易な遡行は絶対に許されない、心して向うことだ。 谷へ向う山道の傍らに、此処の谷で亡くなられた若者の鎮魂碑がある、「山は国界に属せりといえども、山は山を愛する者に属せり・・・」と 刻まれてある。山愛人の鎮魂に野花の一輪をも手向けてから谷に向おう。 竿を出しながらの釣り逍遥では、一日では時間的にも体力的にも魚止メまでは無理だ。帰途も含めて、日帰りなら取り付きから氷谷の出合い迄としよう。 “此処に和名倉沢あり、そして其処に岩魚は棲むから・・・嗚呼”遡行の途中に天を仰ぎ口をついて出る言葉かもしれない。 其々の難所には巻き道はあるが、沢屋さんも使う道、釣り逍遥人には苦しい。総じて滝と滑メの谷だから足固めはシッカリと、短ザイルは必携。 |
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氷谷出合の滝 体力気力ともに疲弊する険谷を竿を振り振り此処まで来た。 氷谷は美しい瀑を架けて出合う。 此の谷は、滑メが続いた上に落差70mの山葵滝の名の瀑がある。 |
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弁天の滝 石津窪から連瀑帯を巻き、次に控えるのが此の滝。 裾広がりで弁天様の様とも、近くに弁天様が祀られていたとも云う。 |
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極下流の渓相 山道を行くと、和名倉沢の流れが見えてくる。 落ち込みを連ねて穏やかそうに見えるのは、ほんの少しの間だ。 |
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大洞川を渡る吊橋 雲取林道から九十九折れで急降下、立派な吊橋で対岸に渡る。 |
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逍遥の記録 二瀬からの雲取林道を三峰神社へ至る分岐の処に広場があり数台が駐車できる。 少し林道を戻ると大洞川本流へ降りる踏み跡、辿って九十九折れに急斜を下ると大洞川の対岸へ渡る吊橋。 吊橋を渡って山裾の杣道を15分も歩くと和名倉沢の極下流へ、途中に此の谷で亡くなられた若者の鎮魂碑が設けられてあり合掌する。 午前10時、和名倉沢の極下流に着く。 此処は、大洞の出合いから峡間のゴルジュで夫婦滝(雄滝・雌滝)を越えた上だ。対岸に杣人の設けた炭焼き跡の石組みがある。 杣道は、谷を渡り尾根を上って行くが、これは険しい谷筋を避けて山腹の高みを辿り上流の“通ラズ”下へ向うものでエスケープルートとして利用できる。 また、少し上で薄い踏み跡が谷の少し上を上流に沿って付けられている、此れは先で峡間に連滝の屏風瀑の悪場を巻いてしまおうというものだが、 途中で踏跡は怪しくなってしまう。 谷に入る、幽玄な趣で水量は多く大石を配した急斜な落ち込みを連ねて渓相は良い。 早速、毛鈎を結んで振ってみる、七寸程の岩魚が大石のヘチから出て喰い付く、その手ごたえに“ホゥ ホゥ…”と思わずニンマリする。 谷は右に曲がり、そして左へと曲る、両岸の岩壁が衿を合わせた様に迫ってきての峡間、谷床は岩盤の滑メで小滝に中滝が連続してくる。 “これは 竿を出してはいられない…”竿を納めて小滝を幾つか越え、屏風瀑と呼ばれる3段10m滝は左を巻き、続く6m滝は右岸を慎重に巻く。 左岸から水量の少ない枝谷を合わせると、谷中に大岩が在って谷は少しだけ開ける。 時折、竿を伸ばしてみるのだが、中滝は都度に現れて難儀、竿を伸べたままでは辿れない。 左岸から石津窪が流れ入る。少し休憩しよう、今は12:30分、入渓してから既に2時間半を経てしまった。 岩魚は濃くなったようで、毛鈎を振れば岩影から追い出て来るのだが、気をとられてはいけない、滑メの岩盤床で足元は確実にしなければならない。 右岸の岩壁が迫って峡間、小滝が次々と階段状に連なって落差を整える瀑流帯。此処は左岸を小さく巻き上がる。 ゴウゴウと瀑声が高まるので見上げると、両岸が閉ざされて、其の奥にくの字状の15m程の高瀑、弁天の滝と呼ばれる瀑だ。 瀑相は、末広がりで優美、如何にも弁天様の立ち姿の様だとも。また、古へに此の近くの高みに弁天様の祠が祀られてあったのだ、とも云う。 巻きは左岸で、木々の根に掴まり岩に掴まり、お助け紐で体を確保しては上に登る難儀さで30分程も要してしまった。 滝上も峡間のゴルジュは続いており、左岸の高巻きの踏み跡で3m滝程の小滝を三ッ一緒に巻く、谷に降りることは出来ない。 抜けると、少し開けてのゴーロで一息つくが、直ぐに滑メが発達して小滝が連続する。 左岸の岩壁が迫って釜を持つ3m滝が二ッ、少しガレを登って慎重に抜ける。 右岸に石組の跡が在る。多分、此の辺りの左岸の高くは山の神の在る小尾根だ、古への盗伐木の搬出の為の何かなのだろう。 右岸が高い岩壁となって迫り、大釜の3段15m滝、左岸を巻く。更に5m程の中滝、峡間の出口に釜を持つ美しい5m滝、三階瀑と呼ばれる処だ。 まったく、竿を出す余裕とて無い、竿は納めた儘で遡行に必死。 右岸を高く巻いて滝上に出ると、一変してキツネにつままれたかと思う程の、穏やかなチャラ瀬の河原が続いていて何とも幽玄な様ではある。 此処が、海磧(うみがわら)と呼ばれる処だ。 原 全教 曰く、「海磧ノ瀑と称する名瀑があり この瀑で俄然落差を失った流れは、陰惨の幽谷の中に不思議な白砂丸石の桃源郷を現出し、 此処を海磧と称する。」 と。 此処までの巻き巻き巻きの遡行の緊張から、体と神経は疲弊、大の字に河原に寝転び木々の間からの天を仰ぐ。 岩魚を釣ることには気が行かず、只ひたすらに遡ることに専念させられた。 谷川の水を汲み珈琲を沸かして啜る。 両岸が絶壁の岩壁の中、信じられない穏やかな瀬音、谷間を吹き抜ける風の音、仰げばほんの少しだけ青空が見えて白い雲が流れてゆく。 さて・・・出かけようか。 右岸から水量の少ない枝谷が滝で合うと、海磧も終わりだ。 谷は俄然と斜度を増して左岸は岩壁、流れは滑メに小滝、そして5m滝が行く手を塞ぎ、更に6m滝が立ち塞がる、此処は二階瀑と呼ばれる難所だ。 又もや遡るに必死、左岸で巻き抜けると、右岸から水量比3:1程で支谷が見事な滝を架けて合う。 氷谷である、出合いの2段20mの滝は美しい。(此の谷は全体が滑メの岩盤で岩魚は棲まない、滝上を更に遡ると落差70mの山葵滝がある。) 東向きの谷なので陽の陰るのは早い、入谷が遅かった為もあり一日目は此処までとしたい。 今は、午後の3時に近い。石津窪の出合いから2時間余りを費やしたことになる、入谷してから約5時間を経た。 思い振り返れば、5時間のうち4時間は竿を納めての巻きであったろう。 帰途は、海磧まで戻り左岸の急斜面を高くの杣道へと這い上がった。 登り着いた処は、山の神の祠の少し上方であった。 後は明瞭に付けられた杣道を辿ればよい。 平成十一年(1999) 夏. 平成十一年(1999) 初秋. 平成十二年(2000) 秋. 平成十七年(2005) 初夏. |
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逍遥 時間 杣道の渡る下流〜石津窪の出合=2時間30分 石津窪の出合〜氷谷の出合=2時間 |
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帰途 時間 氷谷の出合〜山の神の祠〜30分 山の神の祠〜入渓地点=1時間 |
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追 記 久しぶりに氷谷を辿ろうと、杣道の通る山の神の祀られている先から涸れ沢を下り、氷谷の出合い下に降り立つ。 出合いの滝を難儀して左岸を登る。暫く遡って驚いた、急斜の滑メ床がガレで全て埋まっている、水流はガレの下に伏流しているのだ。 ガラガラ不安定でとても歩ける状況ではない。 先を見上げてみると在ったはずの山葵滝(70m)が無い!、大崩落してしまったのであろうか。 平成十七年(2005) 初夏. |
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