漂泊の記 荒川林道探査行 川又から・・・しかし敗退


入川水系  荒川林道探査行川又から・・・しかし敗退


降り出した雨、管理釣り場の食堂では、お客さんは一人も居なく閑を持て余したふうに、オバちゃんが二人茶を飲んでいた。

『釣れたんかい。』
『ううーん、今日は釣りじゃなくって前の山を歩いて来た。』
『前の山ってあの川向こうの山かい。』
『そう、あの山の上の方に荒川林道って古い道が在って、上の金山沢の金を掘る金山に繋がっている訳よ。』
『前の山に道があるなんて、知らねえなぁ。 なによぉ金山があって金が採れるんかい。』
『私ゃ聞いたことがある、ずいぶん昔の話だいな。』
『それで、金山に行って金は採ったたんかい。』
『採れなかった。もうちょっとだったんだけど、雷さまがゴロゴロして来たんで途中で降りてきちゃった。』
『そりゃぁ勿体なかったなぁ。こんど金を採ったらょ、チョッと置いてってくれよう。』

雨の中、夕暮れキャンプ場よりもっと下に停め置いた車へと向かった。
“今は、二時か…”霧のかかった川向こうの山々を“あの辺だったか…、それともあの辺だったか…”と見仰げば、無事に帰り戻れた安堵は少し忘れて、
出発する朝方の勇躍の気を思い“原全教は四時間半で荒川小屋へ着いた…と云うに”その半々分にも至らない処を彷徨い歩き回った無念さがつのった。

昭和十年七月 朋文社 発行
原全教 著
奥秩父 続 より部分を複写

原氏の紀行によれば
川橋の上袂から上る雁坂道から分かれ
辿ること胴木小屋沢へ二時間半を要し、
胴木小屋沢から金山沢の二俣、荒川小屋まで約二時間 
とあります。

昭和五十五年 塔文社 製作
秩父群全図 1/5万」 より部分を複写

この地図は、私が昭和の五十年後半から平成年間に入るまで奥秩父を辿るに
持ち歩いていたものです。
知る範囲で「荒川林道」が示されている
図の最も近しいものなので参考にしました。
(赤鉛筆でなぞられているのは、その頃に歩いた道程)

何せ林道がどの程度に残っているのかは全く不明、そして足弱でのこと、辿る行程を三回に分けて辿ることにしました。
一回目は、発電所の取っ付きから林道が高度を上げる手前の矢嶽沢の対岸まで。 
             二回目は、矢嶽沢の対面から胴木小屋沢を越え中小屋沢の二俣上を覗き戻って取水堰の辺りへ降下。
三回目は、取水堰の上方から中小屋沢を越えてヒダナ沢を渡り荒川小屋跡まで。  
                しかし、帰途が問題で辿り戻るか金山沢を降下して股ノ沢林道へ出るかと思案はしきり。

秩父の今日の天気予報は曇り時々薄日も、降水予想は通日が0mm。
天候に不安なし、さあ… それでは出かけてみることにしましょう。

 午前八時三十分、川又発電所へ通じる道の橋

橋の向うには「立ち入り禁止」のゲートがあるが、ほんの数歩だけ入らせてもらうこ
とにする。
「熊出没注意」の黄色い看板が恐ろしい。
橋を渡った直ぐの右手に壊れた便所らしき小屋が在って薄い踏み跡が上に向って
続いているので、此処から山に入ることにした。

此処が荒川林道の起点かなのか如何かは判らないが、昭和五十五の地図上では
此処の辺りになっている。

兎も角に“山を旅する者は、先ず用便を済ませてから…が、今昔ともエチケットであ
る筈だ…”と思えたからである。
踏み跡は微かで入川の流れを下に見ながら少しづつ登って行く。
流れは両岸の大岩に狭められて小滝が架かり蒼暗い深湛を作りだしている。

フット 上方を見ると小さな小屋が見えるので斜面を登り上がる。
小さな小屋は危険物を保管はて置くのだろうか、ブロック造りである。
小屋前には下方からの明瞭な踏み跡が続いて来ており、更に横回りに上へ続いて
いるので此の仕事道を辿ることにする。
周囲は、よく手入れをされた杉・檜の植栽林で明るい。

仕事道は山腹を横切るように高度を上げると岩肌を露出させた小尾根に至り、
上り過ぎると平坦になり小平地が在る。
此処に小屋跡があり青い無印の空ビンが転がっていた。
“荒川林道の道筋に違いなし…”と喜ぶ。
が、先で踏み跡は等分に三方向に分岐していた。
一方は急斜に登り上り、他方は緩く下方に向かっている。
迷わずに中の緩く上る途を行く。
 午前九時十五分、根元から六本に分かれた木の場
炭焼き跡の石組みも在って荒川林道らしきは、いよいよ嵩ずる。
此処で杉・檜の植林帯は終り、本来の広葉樹林帯になる。
道は、少し下ってガレた枯れ沢を渡る。
枯れ沢から再び緩やかに道は上って小尾根の上に出る。
遥か下方から吹き上がる風に乗って入川下流の渓声とともに子供らの嬌声が聞える、
此処は夕暮れキャンプ場の遥かな上方であるらしい。
踏み跡は実に判り難く少し下方向に下がっているよう思える、おまけに獣道が無尽に
横切っていて今に辿っている心細い途をも屈み見れば鹿の蹄跡ばかりである。
此の辺りから矢嶽沢の対岸辺りまで荒川林道は、古地図によれば入川からの高度は
百五十bから二百bの間に記されている。
“あまりにも途筋が薄い、もっと上方ではなかろうか…”不安にもなる。
そうしているうちに、少し登って次の小尾根の突頂に出た。
尾根上に下から登り来て更に上に登るかなり明瞭な踏み跡が在った。
道筋の木枝にはピンクの目印テープが付けられていて“誰かが、此の林道を懐かしん
で辿った人が居たんだ…”嬉しくもなる。
尾根上を明瞭な真上に向かう九十九折れの踏み跡を登ることにした。
 午前十時十五分、カラ松の林の開けて明るい平坦地
尾根を喘登し五十b程も高度を上げるとカラ松林の開けて明るい平坦地に出た。
原全教が
「上方を見ると遥かに矢嶽沢の奥までも見渡せる。」「奥秩父 続」
述べ記したのは此処ではなかろうか…と思う程に北西の方向は開て眺望がきくが、
今日は、曇天の薄霧で遠くまでを見渡すことは出来ない。
此処で踏み跡は二俣に分かれ、一方は更に少し登り南東の方向に向かっている。
南東への途を辿ると尾根を踏み越えて先に電柱が建っていて三・四本の太い電線
が頭上を走っている、これは方向が違うようだ。
一方は尾根を横に回り入川の上流に向っているのでこちらを辿る、と窪地の枯れ
沢に降り、此処にも次の電柱が建っている。
此のピンクテープの付けられた明瞭な踏み跡は送電線の巡視路であるらしい。
途のある心強さもあって電柱を繋ぐ踏み跡を行くと次の小尾根の突頂に出た、
此処には二本足の鳥居型の電柱が建っている。
其処は尾根の末端部で、その先は入川側に遥か下に急落して恐ろしい程である。
小手をかざして送電線の行方を覗えば、低まった窪に、次に高く伸びた尾根上に
と高低はすれど一直線に入川の上流へと伸びていて、大赤沢谷の出合い下流の
発電取水施設に一直線に行き着くと思われる。
 午前十一時十五分、横切るのは獣道しかないので、しかたなく巡視路を辿る
しかし、荒川林道の踏跡を利用しているとは考え難い。高度が低すぎるのだ。
鉄塔巡視路は、ただ最短距離に次の電柱へ次の電柱へと小尾根へ登り沢窪に下り
そして次の尾根へと登り上がるからだ、降りて登って降りて登ってと体力の消耗が
甚だしいのだ。
昔人が荒川小屋へそしてその先の柳小屋へと辿るのならば少しは距離を増そうとも
為るべくは平坦に窪沢などは少し上部を巻く筈であろう。
“少なくとも百bは上方の筈だ・・・”
しかし、何度も獣道を使って上方を偵察してみるが其れらしき道は見当たらない、
下方は窪沢がいよいよ急峻に落ち込んでいるので下に在るとは考え難い。
巡視路で水量の少しあるガレ沢に降りると人為的な石積みらしきが在った、
上方を伺い見ると開けた平地が在るよう見える。
 
巡視路から高度を上げて探査
ガレた石礫だらけを這うようにして五十b程も登る。
石積みの上に木が生えた様になった処があり、その先は広々とした平地になっている。
小屋跡であるらしい…、とすれば此処は荒川林道の道すがらである筈だ。
“小屋跡の確証は無いか…”
証拠の茶碗の欠片か無印の青ビンを捜したが見つけることは出来なかった。
平地の西端は次の尾根上であり、おまけに岩が露出して行く手は十bばかりの崖
で其の先はかなり深い窪地になっている、上方に辿る途らしきの痕跡は無い。
止む無く、尾根上を下ると先の巡視路が登ってきている、尾根の先にはやはり鳥居
型の電柱が見えた。
尾根から窪へ降りるには巡視路を辿るしかない。
ピンクの目印テープが木に結わえてあって何か書いてある、
見れば「ガンバレ!あと100メートル」と書いてあった。
とすれば此れは、上流方向から来た巡視員に向けて励ましたものであろう“何処か
ら登って来たのであろうか、取水堰から順次に来たものか…?”。

窪へ降りる巡視路にパイプ階段が設けられてあった。
階段を降りると傾斜の強いガレた窪地に電柱が在る。
不思議なことに電柱の周りに巡視員の付けられた足跡はあるのだが、次の高い尾
根上の電柱へ向かう巡視路はなく道案内のピンクテープも無くなっている。

 
午後十二時十五分、きつい傾斜を尾根に向かって登る
百bは登ったろうか小尾根の上に出た。
鳥居型の電柱は建って在ったが全く巡視路も踏み跡も無い。
先の窪は深い、窪と云うより谿である。降りた処は急斜で滑メの岩盤が露出してる、
少し下には二十b程のトイ状の滑メ滝が架かり、更に下を覗けば急斜な岩溝状だ、
もしも滑落すれば何処までも何処までも転がり落ちてしまうだろう。
恐ろしくなって上に登る、百b程も滑メの横を上ると滑メが消えてガレ沢になった。
見上げる前方の尾根は高くずっと入川に張り出しているようだ。
地図を取り出し見れば、此の尾根は対岸の矢嶽沢前面に突き出た尾根らしい。
矢嶽沢の出合い下流に“枝谷が流れ落ちていたろうか…?”思いだせなかった。
 午後十二時三十分、撤収を決断する
水滴が頬に当った。“雨か・・・か”
気がつけば入川対岸の高稜はガスがかかり、遠くで雷鳴さえも聞こえて来る。
“撤収しよう・・・”と考えたが、どう撤収すべきか迷った。
前面の大きな尾根を下って、矢嶽沢の出合いに降りようか・・・。
辿った道程を戻って発電所の上手に戻ろうか・・・。
とりあえずは鉄則に従って後退して踏み跡が明瞭な巡視路に戻ることにした。

 午後一時、パイプ階段を登り尾根上の鳥居型の電柱の場所に着く
“来た途を発電所まで戻ろうか・・・、
安全だが二時間近くはかかろうか・・・”思案にくれた。
此処で早急に決断を下さねばならない事柄を発見してしまった。
尾根横に朽ちた大木があり、それに真新しい熊の爪とぎ跡を見つけてしまったのだ。
気のせいか獣臭もする、“熊は嫌だ…恐ろしい!”
兎も角、この場を早く去りたかった。
此の小尾根を伝って降りることにした。
降り始めてしばらくで尾根は斜度を増した、木々を掴まり掴まり降りねばならない。
五十b程も高度を下げた処で尾根は突然に垂直な岩崖で切れ落ちていた。
崖は…と覗き見れば三十b程の落差があった。
右手下を見れば、上はガレ窪だったものが水量増して岩盤にトイ状に流した岩溝だ。
左手下は急斜な広窪状であった。
左手を降りることにした、が…崖となった尾根から降りねばならなかった。
崖を横回りに降りることにしたが、急斜で木は疎らにしか立っていない。
回収紐付きの十bザイルしか持ってこなかったことが悔やまれた。
端の立ち木にザイルを回し降下した、七bほど降りた処に腕ほどの立木があった。
立木にお助け紐で体を結え、木に回収したザイルを回し結わえて広窪上に降りた。
広窪も木々を掴まらねば忽ち滑りおちる程の急斜面であった。
 午後一時三十分
入川の右岸に降り立った。
降りた処は矢嶽沢出合いの随分と下流の管理釣り場の内であった。
対岸に「特別釣区 8号」の標識が在った。
幸いなことに雨は、まだ小雨程度である。
広い股ノ沢林道から振り仰いでみたが、視界が悪い為か尾根上の電柱も送電線も
見えなかった。

 こうして古の荒川林道探査は序番から潰え去った訳で、
林道の痕跡すらも定かには見定められなかったのです。
又お天気の好い日に、荒川林道を探して辿ってみようか・・・。
此の先の更に高度を上げて険しさを増すのであろう道程を考えると、
“チョッと なぁ・・・”
今のところ、その気持ちは怖さと体力から萎えかかっているようです。
でも多分、また何時かの日、再び登るのではないかと思いもするのですが・・・。

“管理釣り場のオバちゃん処で温かいラーメンを喰おう…” 林道を急いだ。

                       平成21年 (2009)  初秋.


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