てんから庵閑話 小豆あらい婆の淵


小豆あらい淵・・・、


 川下に「おクラ淵」と呼ばれる処があった。
川の流れの行く手が大きな岩壁になっている。
瀬で流れる水は、吸い込まれるように岩壁に突き当たって横に曲がる。
其処は、深い深い底の見えない青い暗い淵になっている。
水の中の岩壁は、奥深く抉れていて幾つもの白骨があるのだそうだ。。



 “夕暮れ刻になるとナ あそこの淵の上の早瀬でナ
 小豆あらいの婆がナ 腰巻一チョでナ
 ザッシザッシザッシと音をたててナ 小豆をあらってるんだ。
 子供はナ 絶対に見ちゃあいけねえ。”
大人は、話してくれた。 

『音はすんかイ 音はすんかイ ミッちゃんヨ。』
俺達は、笹薮の中を蚊に喰われながら腹ばって進んだ。
もう直ぐに、おクラ淵だ。
『音はすんかイ 音はすんかイ ミッちゃんヨ。』
『・・・・・。』
『もう 帰えんべーヨォ オッかねーヨォ。』
後ろで、歳下のヒデちゃんが泣きそうな声だ。
『音はすんのかョ 婆は居んのかョ ミッちゃんヨォ。』
前を行くミッちゃんの尻が、止まった。
『ババアだ!。』
『ウワー!。』
『ギャアー!。』
俺達は、パラッパラッと逃げた。

 やっと部落の近くまで来ると、辺りはもう真っ暗だった。
電信柱の裸電球が灯っていた。
『ミッちゃんヨ ババアを見たんかイ、小豆ィあらってたんかイ。』
『俺ァ 見てねェ、でもザッシザッシザッシって音がしてた。』
それからの俺達は、決しておクラ淵へは行かなかった。



 想えば昔は妖怪達がいっぱい居た。
山には、カラス天狗や山ん婆やゴン坊やおぶさり爺が棲んでた。
川には、川太郎河童やヘビ女が、そして小豆あらい婆も居た。
里にだって、置いてけ婆や顔なし女や父ちゃん小僧が居た。
そして、夜更けになると家の回りには、人魂が飛んでたのだった。
確かに見たことは一度もないけれど、何時もそんな気配がしていた。

                       
平成9年(1997) 記



戻 る

inserted by FC2 system