てんから庵閑話 春よ春 渓は暫し桃源郷・・・


春 渓しの桃源郷・・・ 安谷川水系 仁田沢


 あまりに天気が好くて、安谷川の支谿の上流の仁田沢に入ってみました。

 この谿は仁田沢と名前の替る上流にまでも熊倉山へ向う登山道が流れに沿っています。
まだ誰も通らない道を穏かな流れを見、溜まりを覗き込みながら歩きました。
やがて谿は二俣になって、登山道は右俣に沿いながら離れていきます。
左俣は、人の踏んだ形跡は全くありません。
“ヤレヤレ やっと人に逢わずに此処まで来れたか・・・”
私は、山中で人と出逢うのは、好きではありません。

 此処からの左俣が仁田沢と呼ばれる沢筋です。
熊がうろついて居そうで、熊除けの鈴だけでは心細くてやたらに笛を吹いて歩きました。
しばらく遡ると、なんとも云えない不思議な風景の処に出ました。
谿を横切って塞ぐ、ふた抱えもあろう倒木、天頂に古木を生やした巨岩、
一枚岩から流れ落ちる細々とした滝、
その全てが、冬を越えて間もないこの時期なのに黄緑色に苔生していました。
“やっぱり秩父の谿はいいな、いろんな桃源郷がある。”

 水量の少ない谿の水をすくって湯をコトコトと沸かして珈琲を点てて啜りました。
そちこちの小さな落ち込みの溜まりに顔を突き出しては小さな岩魚達を驚かせて喜びました。
長い時間、痴呆人のように此の苔生した桃源郷で遊んだのでした。

 暫くしてから、更に上流へと向うことにしました。
三十分ほども遡ると、また谿は水量を二分する二俣になりました。
二俣の少し高い処には、炭焼き窯跡の石積みが崩れもせずに残っていました。
“古の杣人は大したものだ・・・”
此処から下って最終民家までは三時間以上はありましょうか。
此処に、独り小さな小屋を造って周囲の木々で炭を焼いたのでしょうか。
前の細い流れには、小さな大きくなれない岩魚達が棲んでいました。
此処の主だった親爺が放った奴の子孫でしょう。
「孤独」に耐えるのも苦しいものです。
熊や兎や山鳥には偶にしか会えないけれど、
「魚達は何時も居て良い友達だ・・・」 と聞いたことがあります。
親爺は、とっくの昔に居なくなってしまったけれど、岩魚達は今も元気に棲み暮らして居るのです。

 水量の少し勝れて急峻な左俣を遡ってみることにしました。
人の踏み跡は全く無いので、鹿道を辿ることにしました。
流れはいよいよ心細くなって、いかな岩魚達も棲めません。
直に右岸が高い岩壁になってきました。
いよいよ進めば、左岸も岩壁になって凄まじい狭隘な暗い廊下が奥へ奥へと続いているのです。
立ち止まって耳を澄ますと奥の方から何やら 「コオ〜 コオ〜」 と音がします。
高い滝があるのだろうか、ならば 「コ」 ではなく 「ゴ」 の筈です。
“なんだろう…。”
なにやら鳥肌立ってきて、これ以上に奥を覗く勇気はでなかったのでした。

 人を別天地の桃源郷へと誘ってくれる谿、
かと思えば、厳しく「人を入れぬぞ・・・」 拒む谿もある、
“それも秩父山塊の谿の特徴かもしれない・・・” 思うのです。


                               平成十九年(2007) 春.



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