てんから庵閑話 春先の憂鬱・・・・


春先憂鬱・・・

 毎年、春先になると幾分憂鬱で幾分苛立たしい日が続く。
日頃、情緒不安定な者は春の訪れの時期は、いよいよそれが昂ずるのだそうだ。
多分に、それに当てはまるのかもしれない。
が、年々にその度合いは昂じてくるような気がする。
何が憂鬱で苛立たしいかと云えば、釣りする者のことである。

 春は、渓流の解禁である。
解禁になると、待ちわびた釣り好きがドッと渓に押し寄せる。
放流された渓魚を釣るのだって楽しいことには違いないのだから、マアそれも良い。
原因は、釣りする者のモラルにある。
何で、最低限のルールをすら守れないのだろうか。
何で、やっと厳しい冬を越してサビを残した痛々しい魚を釣るのだろうか。

 いったい、釣りの楽しさって何なんだろう。
『いっぱい釣って塩焼きにして喰うんだ、美味いゾ・・・』と云う人もいる。
『釣れた時の感触・手ごたえがたまらんのだ・・・』と云う人もいる。
『他の人よりいっぱい釣ったり大物を釣ったら、その優越感たらこたえられない・・・』と云う人もいる。
『釣れても釣れなくても渓に竿を出すことが楽しいのだ・・・』と達観したらしいご人もいる。
だが、それは全て人間のエゴであろう、私も含めてだが。
マアよい、人の楽しみの価値感は其々であろうから…。
仲間の爺の一人に餌釣りと毛バリ釣りの両刀使いが居る。
餌はイクラ以外は使わない。
『生き餌は、鈎に刺すと苦しむからだ・・・』と云う、それを見るのが辛いのだそうだ。
そのくせに当世風に申せば「肉食系」だ、他様が命を絶ったものには感じないらしく豚でも牛でもバクバクと喰らう。

 渓に谿に立とうなら最低限のルールは守ろう。

 先日、某水系に様子を見に行った。
なんと、入漁券を所持している者は三割程だ。
咥えタバコで竿を出し、吸殻は流れに投げ捨てる。
昼時が過ぎると、綺麗だった河原は弁当の残骸物だ。
『マアマア だよ。』とニコニコして答えた者の魚籠を見れば、なんと四寸にも満たない一年幼魚が入っている。

 九州にボランティアで毎日のように監視活動をしている山蝉さんと云う方がいる。
時には、朝の三時頃から出かけて近在の沢谷を見回るのだそうだ。
解禁の日に巡回しての嘆きである。 (氏の了解を得て、ブログエッセイから引用させていただいた。)

[此の溪沿いで30人程の釣り人と対応した結果]
 1、明らかに不機嫌な顔をしなが言い訳タラタラ成れど、渋々購入する者(言い訳は良いから、誰の為に巡廻していると思うんだ!)20%。
 2、券 購入を拒否し、立ち去る者。(こいつら監視員手薄の溪で、「盗人釣」を行うだろう。
   もし此の溪の支流.源流で竿を出して、逃げ得を決め込む事等、絶対許さぬ。車のナンバーを携帯カメにて控える)20%。
 3、「事前購入しなくて済まない」と言いながら、和やかに購入する釣り人もいて、少し「ホッと」する(中には○○さんが来ると思い待って
   居た、少し嬉しいが、頼む!事前購入)20%。
 4、残りの40%が券保持者であった(5年前から比べると大分増えた)。
   合流点に着きもう1本の川を上流に向かいながら取り締まる。此の溪沿も3〜40人の釣り人と対応する、結果は同等!。
   あぁ〜また今年もこんなさもしき「輩」が居たのか・・・。
   気を取り直し支流.源流に巡回すると、何たる事か、(こんな所に解禁当初入るなよ。まだ溪魚のサビも取れて無いだろうに!。)
   そんな事等何処吹く風、これが釣り人の「欲」なのか・・・。
   我言う「欲深き釣り師の深い淵」が其処此処に。
   その80%が無券者である。注意と券購入を求めれば、無券者の100%が撤退していく。

 氏の地域は遥かの遠方だ、『もうイタチゴッコも嫌になってしまった』とも嘆く。
此処、秩父や奥武蔵の渓も、また釣りする者も同じだ。 いやいや、首都圏が近い為もあって、もっと酷いような気もする。
せめて、せめて最低限のルールやモラルは守りたいものだ。

 以前にこんなメールを頂戴したことがある。
自然を大切に…等と言うけれど、貴方も釣りをするのでしょう。 魚を殺傷するのでしょう。だったら貴方は偽善者ではありませんか。』
云い得ていて反論はできない。
 でもね・・・
漁魚券なしで流れに竿を出したことは無い。
煙草の吸殻だってチャント吸殻入れに入れて持ち帰る。
弁当は喰うけど散らかし捨てたことはない。
釣れた魚は殆どを再放流している。

せ めて共生(共に生きる)…、心したいものだ。
春先の憂鬱と苛立ちは、今暫く続く。



                                            平成十九年(2007) 早春.


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