てんから庵夜話 井戸沢が山女魚の谿になってしまう日は・・・


井戸沢山女魚谿になってしまうは・・・、


 此処に書いてよいかどうか…迷いました。
だが、現実は現実として「夜話」としてご覧下さい。
爺連の遊子氏の『井戸沢釣遡行記録』の一部(六月中旬遡行)を氏の了解のもとに写しておきます。

  〜大洞の井戸沢は、岩魚と山女魚の混棲の谷でした。
  (要点だけを、お知らせしておきます。)
 私達3人は、山ノ神土から仙波のタルを経て椹谷の出合いに降りました。
ここに幕して、同谷をアザミ窪の出合い二俣までを一日目としました。
翌日、早朝から井戸沢を釣り上がると、果たして山女魚が釣れました。
爺様から、前新の出合い下の狭間の10m滝までは山女魚も棲む…と聞いていましたので
『この谷に山女魚は似合わないね。』などとさして気にすることなく遡行を続けました。
ところが、前新左衛門窪の出合いを過ぎ、石門の滝を過ぎ、奥新左衛門の出合いを過ぎても山女魚
は岩魚に混じって釣れ続けるのでした。
ついには、20m大滝のある狭間の入口の前衛の5m滝まで釣れました。
地図で確認すると標高1450m地点でした。
井戸沢は岩魚と山女の混棲の谷だったこと、以上報告しておきます。 


 これには魂消ました。
何故なら、前後した時期に誼をいただいているカルパッチョ氏も奥新左衛門窪の出合い上を遡った時
のこと、やはり同窪の出合いより上流の大滝までの間で『山女魚が釣れた。』とされていたからです。
十数年ほどの前は大洞谷の三ッ釜の大淵が山女魚の棲める限界としていました。
その後、キンチヂミの難所を山女魚が越えたと聞きました。そして三年前には前新左衛門の出合い下
の狭間内の中滝下で山女魚を確認したのでした。
私達は『まさか、この10b滝を越えることはなかろう。』と考えていたのですが…。

 大洞の井戸沢は、幾つもの自然の成した要塞の通ラズに(人間にも山女魚にとっても)に守られた岩魚
の桃源郷のはずでした。
山女魚との混棲となっては、その桃源郷は遂に終焉した…としか云いようはありません。
自然の摂理を違えてとても遡上できるはずの無い滝上に移植する釣り人も居ることも確かて゜す。
しかし、定着して永らえるということは・・・。
山女魚の棲める水温にまで地球温暖化で水温が上昇したということではないでしょうか。
この現象は、荒川の本谿の入川でも、分ける支流の滝川でも、その他の全ての水系でも既に進行しつ
つあることです。

 「其処に岩魚が棲んでいるから…。」、古今の釣り人の猛者達が夢を見続けてきた浪漫の地、奥秩父の
大洞本谿から岩魚の桃源郷の終焉を見るのは、なんとも寂しいことです。

                                          
平成19年(2007) 記.



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