てんから庵閑話 岩魚は啼いていた・・・。


岩魚は啼いていた・・・、(入川水系 大赤沢谷)






・・  岩魚を捕らえると「キュウ キュウ キュウ」 と啼く。
思わずその目をみてしまう
岩魚の目は涙の形をしている。

随分と昔、もう二十年位も前のことだろうか。
その日は初秋、樅谷の出合いを過ぎた大赤沢谷の奥谿のことだった。

落ち込みの深い溜まりに毛バリを落すと、
ゆっくりと大石の下から泳ぎでて来て咥えた。
随分と大きな雌岩魚だった。

釣り上げられた 彼女は啼いた。
 『キュウ キュウ キュウ ・・・、
  私は 捕らえられてしまったのですね
  おなかが空いて仕方がなかったのです。
  あぁ・・・ 私は 生きながらえることはできないのでしょうか。
  聞いて下さい。
  私のお腹には今 沢山の赤ちゃんになる卵が居るのです
  私は その可愛い児らを
  この清い水の流れに生かし続けてやらねばならないのです、
  それが私の大切な宿命なのです。

  後生だから・・・ 放して・・・ 
 キュウ キュウ キュウ ・・・』

随分と昔のことでした。
慌てて、そっと 流れに戻したのでした。

今でも 
彼女を釣り上げてしまった、
其の日のことを 忘れることができません。
彼女の啼く声が聞こえてきます、そして黒い涙形の目も・・・。


                平成5年(1993) 初秋.


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