てんから庵 閑話 岩登りの鍛錬


岩 登 り 鍛 錬


 春まだ浅い今日、我ら爺連は奥武蔵の岩道場へ岩登りの鍛錬に行った。
総勢五人だ。(花ノ魚爺・クマ爺・坂爺・白髭爺・そして私)

 今年も奥秩父の奥谿へと向かう為の鍛錬だ。
奥谿へ赤岩魚達と逢うには、どうしても基本の技術が必要なのだ。
我らの「爺の谷」の入り口は厳しい。
愛い赤岩魚達に出逢うには、高い崖を登らねばならないからだ。

 岩道場に着く前に、
小さな祠に祀られた不動尊に詣でた。
 『今年も、岩から転がり落ちませんように。』
 『赤岩魚達が達者で増えていますように。』
 『血糖値が高くなりませんように。』
 『ボケませんように。』
 『嫁が優しくしてくれますように。』
皆んな、少ない賽銭で願い事は過分に大きい。
これでは、いかな不動明王様も呆れて、願いを叶えてくれそうにない。

 岩道場に着いた。
若い二人組のパーティが低い方の女岩に取り付いている。
仕方ない、倍も高い男岩を登ることにした。
 『オジサン達 其処を登るんですかァ・・・。』 と問う。
 『アァ そうだョ。』答えた。
不思議そうで怪訝な顔をしている。

 私は、確保する役となってザイルを背負って岩の上に登った。
我らは、少しでも落ちるのが嫌だから、上で体を吊ってしまうのだ。
そうでなくとも少しでも疲れると、ブラ〜ンと吊り下がってしまう。
だから、何時も何時もザイルを張っていなければならない。
大変な役目なのだ。
 『オ〜イ ザイルを落とすよ〜。』
大声を張り上げてザイルを放り落とした。
 『ワー! バカヤロウ!!。』 坂爺の声だ。
覗き見れば、落したザイルの真下に居た。
あんな大声を出したのに、聞こえなかったのか。
また一段と耳が遠くなったようだ。

 『エッホ ワッホ ウッホ』 と掛け声がして花ノ魚爺が登って来た。顔が真っ赤だ。
次に、クマ爺が上がって来た。これは、肥満体のメタボリックだから汗だくだ。
流石に白髭爺は昔とった杵柄で、軽々と涼しい顔で上がって来た。
四人は岩の上に座って風に吹かれた、もう春だ。
ところで、坂爺は…と見れば、少しも登れていない。
足が上がらないようで上の窪みに足が届かないのだ。
 『坂爺は、もう俺らの谷へ行くのは無理かな・・・。 誰かが云った。
 『いいや、何とか連れてってやろうよ。』 花爺は云った。

 『オ〜イ何やってんだ、お茶がわいたどォ 昼だァ 飯だァ。』 坂爺の声がした。
登れなかったことを隠して炊事当番を装っているのだ。
 『オィヨ〜。』 答えて懸垂下降の鍛錬をしながら、下へ降りた。
少ない沢の水を汲んでお茶が沸かしてあった。
スーパーで買った寿司折を二人前づつ食って缶ビールを飲んだ。
 『俺が一丁、歌を唄う。』 坂爺は大きな声で唄った。
 『皆の衆 皆の衆 嬉しかったら腹から笑え〜、悲しかったら泣けばよォい〜♪。』
女岩に取り付いていた若い二人組は珍しそうに眺めていたが、近寄っては来なかった。

こうしてもう一缶『ビールが飲みてェ。』 と云う坂爺をなだめすかして、岩鍛錬は終った。
 (残りのの二人は、浮世での銭稼ぎで参加できなかった。)


                                         平成十九年(2007) 早春.



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