てんから庵閑話 金採り行…其の五話


金採行…、其五話  中津川水系 小神流川


 今は、すでに晩秋だ。
だから寒くて金を探しに行くのは無理だ。
だから古文書からその「金」の証を覗いておこう・・・。
折角の己の夢が萎えてしまってはいけないからだ。

 先ず江戸末期の頃だ、時の幕府から編纂者への指示の一つ。
「秩父郡ノ稿ニテハ金字ハ添文字ヲ加ウルベシ、土人騒グ因レバナリ」とある。
つまり・・・だ。
“秩父郡の記稿にあたっては、土地の者が騒ぐから「金」の字には直に書くなよ”
“「金」の字には他字を添えて「銀・銅・鉛・鉄」と記せ”と云うことだ。
そのことをよく念頭にしておこう。

 「新編武蔵風土記稿 巻之ニ百六十五 秩父郡之二十」より引用する。
小神流川
一ニ金川トモ書ス、源ハ西ノ方三國山ノ麓ヨリ湧出シ、谷間ヲ屈曲シニ里許ヲ經テ、
居村ノ東十町許ノ処ニテ中津川ニ合ス、川幅三四間、平水五六寸、コノ水路モ巨石
多ク、両岸ハ盤石ナリ、
逆巻ノ瀧
小神流川ノ上流ニアリ、高サ五十丈、幅四五間、飛泉盤石ヲ傳ハリ、濆沫ヲ沃ギ霧
ヲ生ズ、奇観ナリ、
金山
居村ヨリ乾ニアタリ五六町許、字榧久保・屋勢・尾根等数ヶ所ニアリ、初メ慶長年時
ニ、里正繁八ガ先祖某、命ヲ奉テ鑿チタルニヨリ、明和年中ニ平賀源内ト云ルモノ、
又命ヲ受テ鑿チシガ、…中略…、今ハ廃シテ数十ヶ処ニソノ跡アリ、ソノ深キニ至レ
バ、銅出ヅト土人物語リセリ、
銀鉛山ニヶ所
其一ハ村ノ子丑ニアタリ、小神流川ト云ル北岸ニアリ、奮穴ノ深サ七十間許ナルア
リ、居村ヨリハ十八町許ヲ隔リ、
其一ハ居村ノ乾一里許ニアタリ、小神流川ノ枝谷ツニアリ、近年試ミシニ銀気少ナ
ク、鉛多シト云、


 他に、鐵山 など数々の記述がある。
まさに一帯の此方彼方は金・銀・銅・鉛の産出拠点を示すものである。
より有力な文献史書はあるのだが、盗掘の不安が心に満ちて、此処に記すのを躊躇った。
因み
「武蔵國通誌」は、より顕著である。
故に、黄金は彼の地の山谷に今も密かに眠ると思うは幻でなく現っつのことなのである。
春が来て、暖かくなるのが実に待ち遠しいことだ・・・。
と…云うが、山谷行の脚力保持の為に朝に夕にスクワットを二十回行なうは辛い修行だ。
日に七十回も行なうという森光子は、化け物婆さんだ。


 右の絵図は、
新編武蔵風土記稿 巻之二百四十六 秩父郡之總図の一部である。
中津川の上流部に一段と高くそそり立つ「金山」の文字が見えようか…。
見えなければ、
貴方様には、少は集めたればとて、莫大なる金運は無いものと諦めるしかない。
観念して、セコセコと時間を切り売って働き小金を集めることだ。

                              
 平成18年(2006) 晩秋.






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