てんから庵閑話 山は国界に属せりといへども


国界せりといへど・・・、
大洞川水系 和名倉沢


・・

 ご存じの方も、いらっしゃると思います。
此処は大洞川の最も下流の険谷、和名倉沢へ向う途。

 “山は国界に属せりといへども 山を愛する人に属せり”
谷へ向かう途中の途傍に建てられた慰霊碑に刻まれてある詩です。
此処の奥域で遭難された青年への慰霊碑であろうか
昭和61年、享年26才、建立施主はご両親なのか、深い哀悼が偲ばれます。

 何時も、綺麗に清められてある
通う山愛人の心なのだろう。

 和名倉の険谷へ岩魚と出逢いに向うとき
上流の“通ラズ”の大滝を観に行くとき
途の傍らから 我らの安全を見守っていてくれる。

 行きには『今日は、大滝を観に行ってくるからね・・・』我は云う
帰りには『大滝は、また一段と素晴らしかつたよ・・・』我は云う
“ソウサ 山ハ 何時タ゜ッテ 何時ダッテ 素晴ラシイ処サ・・・”風に聞へてくる。

 此処ら辺りの大洞川の流れは とても静かだけれど
和名倉沢の水は急峻な岩床を駆け下りて 今日もドカドカと騒がしいのです。


                           
 平成17年(2005) 記.




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