てんから庵 閑話 恍惚爺の大神楽沢での行状・・・


恍惚爺共大神楽沢上流での行状  浦山川水系 大神楽沢


 暑さも心持ちだけ薄らいだこの日、
吾ら爺共はうち揃って、浦山川水系の大神楽沢に出かけた。
吾らが此処を訪れるのは、十年ぶり位だろう。


 『オ〜イ デッカイ堰堤が出来ちゃってるよぉ〜』
ヤマメだ ヤマメばっかだ…と文句を言いながら竿を振り振り遡っていた花ノ魚爺の大きな声がした。
見ると、岩壁の峡間の向こうには高い堰堤が立ちはだかっていた。
前には無かった、随分の前の話なのだが。
しかも…その上にも一基見えている。
取り敢えずは堰堤の上に登ってみよう…。

 吾らは、山道を岩突を巻いて堰堤の上に出た。
其処は砂礫が堆積した河原で見晴らしも良い、右岸から小谷が滝を架けて落ち込んでいた。
少し上に更に巨大な堰堤があって「関係者以外は立ち入りをご遠慮ください」と振興センターの立看板が在る。
『アァ 此処から上に行っちゃ駄目なんだなぁ』律儀な花ノ魚爺は云う。
『それじゃぁ…』クマ爺が座り込んでザックを弄っている。
『此処で始めるか…』と云いながら大きな焼酎ボトルを取り出した。
岩清水で水割りにしようという魂胆なのである。
白髭爺が途中のコンビ二で仕入れたお菜を並べ始めた。
『此処で始めちゃうのかよぉ…』此処で前期高齢者の集う宴会が始まってしまうのだった。
『杣女さんは、運転するんだから駄目だよなァ』と云う。
何時もの事だ、何時も此の爺連中が集まると、何処であろうが水割り焼酎の宴会になってしまう。
そして、大概が古い歌を延々と唄い続けるのが常であった。
そして、ヒヨロヒヨロしながらの帰り道で転んで怪我をしたりするのだ。
何時かの時、大赤沢のモミ谷出合い上の伏流した河原で始まった、
そして帰りにクマ爺が白泰沢の対岸辺りのガレ場で滑り転んで肘を三針縫う怪我をしたのだ。
なにしろ飲んでいるのだから巡りが良くて血がトットと出るので魂消た。
『心臓より高くしなあかん…』とか云って、二時間近くも森林軌道途を片手を高く挙げながら帰ってきたのだった。
そして、何時も私は『山道の運転が実に上手い』と云われ煽てられて運転手なのだ。
なにより、酒は幕場以外の山ん中で飲んじゃ駄目なんだ。

 此の日は、『どうもこの頃目が霞んで見え難い…』
花ノ魚爺の提案で武士平の下の目の薬師様をお参りしょうと云うことで来たのだ。
「め・め」の目の神様の薬師如来様を詣でた。

 それから、林道を上がって浅見翁の碑も参じた。
とても偉い方なのだそうだ。
なんでも、浦山郷の名士で秩父神社の宮司を五十年以上も務められたという。
翁の詠まれたものか「春がきて 岩につつじや ほととぎす」と石碑に刻まれてある。

 それから、前の谷川で釣りをしよう…、云うことになったのだ。
昔に岩魚を釣った覚えがあって合点をしたが、毛鈎を追うのは小さな山女魚ばかりだった。

 『其処の谷で焼酎を割る水を汲んできてくれ』と云う。
『悪谷だから奥へ入ちゃ駄目だぞ』とも云う。
流石に花ノ魚爺はよく知っていて「滝ノ沢」とか呼ぶ悪谷だそうだ。
行くと谷は二筋になっていて右谷も左谷も両岸が高い岩場で次々と滝の架かった険谷の様相だ。
水を持って行くと『オウ ありがとさん』とか云われて、三爺の宴会が始まってしまった。
『俺は、此の上を見てくる』上の堰堤を指して云った。
皆んなが飲んで、独り飲むことが出来ないのは、かなり辛い。
『行って来ゃ、歳で足が上がんねえんだから気をつけてなぁ』などと云う。

 上の堰堤を登ってみると両岸がガレて崩落。
堆積した岩クレで谷は埋まって伏流していた。
それでも、小持山に続く山々の重なりは美しいものだった。
振り返ると、武士平の青い屋根の民家が遥か下方に望めた。
石車に乗らぬようガレで埋まった谷を上って行くと、
右岸から小谷が出合って水流は復活した。
“尺岩魚を掛けて、皆を驚かしてやろう…”
と毛鉤を必死で振ったが、何の音沙汰もなかった。
昔は、この辺りは岩魚が沢山に棲んでいた。

 両岸が岩壁になって小滝が連続する峡間のゴルジュになる。
幾つか越えると三bの二条に落ちる滝、上は明るく見えるのだが此処で戻ることにした。

 戻ってみると、涼しい木陰に場所を移して歌を唄っているまっ最中だった。
何時ものように「僕のみよちゃん」とか「昭和枯れすすき」だとか「僕は泣いちっち」とかとか東京オリンピック前後の頃の歌だ。
何時に聞いても見てもグロデスクなのはクマ爺の歌うカルメンマキの「時には母のない子のように」だ、
これは飲み屋などの知らぬ人前で唱してはいけない。
毛深いよく肥えた人相の悪い爺様が、切な気な声を出してはならない。
知っている人はいいが、見知らぬ人には耐え難い。
それでも人相風体を鑑みて恐れて拍手をするからいけない、本人は“俺は賞賛されている…”と思うのだ。
そんな中で白髭爺の「風雪流れ歌」とかが目新しく、“レパートリーを増やしたな”思った。
『おう 無事に戻ったか、どうせ岩魚ぁ釣れなかったんべ。そんじゃぁ帰るかぁ』

 山道をヒョロヒョロしながら辿ったが、誰も転ばずに浅見翁の碑の前の広場に戻れた。
浅見翁も、さぞかしあきれていることであろう。
よせばいいのに、『浅見爺様はえらかったねえ』とか云いながら、また皆んなで詣でた。
車に乗り込み大神楽林道を降りて山掴の頃には皆が口を開いて寝ているには、
“運転手への労わりが欠けているなぁ…”思った。

 まぁ 何時ものことだ・・・。

                                               平成21年(2009) 初秋.


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