てんから庵閑話 ミグロの通ラズを泳ぎ抜く夢・・・しかし、


ミグロ通ラズ・・・しかし  滝川水系 本谷下流


 今日は秋晴れの好い日だ。
今日は、滝川下流へ行こう。
私はこの場所に“何時かは果てしてみたいものだ・・・”
長年想い描く密かな目的があったのだ。
だから、今日こそは・・・と古い海水パンツをザックに用意して入れて来た。

 
(原全教の“ミグロの通ラズ”)
『瀧川の流れが水禽の嘴の様な尾根の稜角に衝き当當って急に屈曲する暗峡。
左右の岩壁は見上げる程高い、
右手には棚状の壁、對岸は全く水面から切り立った逆層の大絶壁である。
奥の岩壁が盡きた所は河身も僅かに打開いて磧と平流が見え、
途中の右手の岩壁の末端の陰から白い水沫の飛散しているのは滑澤の合流点であらう。
この棘々しい岩角と樹陰とどす黒い蒼流との眞只中に三時間を費やした・・・。』


 そう、此処滝川の下流域の“ミグロの通ラズ”の核心部を巻かずに渓中を突破するのだ。
そして、“水の面に漂って、大岩壁を水に棲む岩魚のように見上げてみたいものだ”
長い間、夢みていたのだ。
其処は、昔から比べれば砂礫が入って底上げしたが深淵はそれでも深く凄みがある。
上から眺める限りでは、穏やかで如何にも抜けられそうに見えるのだった。
そして、其の上に続く瓢箪淵をも泳いで制覇してしまおう。

 通ラズの前衛の直右衛門淵は、あまりにも蒼黒く深く引き込まれそうだ。
恐ろしくなって岩壁を登って巻いた。
直右衛門淵を過ぎると、いよいよミグロの通ラズの核心部の入り口だ。
淵尻に突き出た大岩に上ると、通ラズが一望できる。
岩壁の狭間で、流れは静まって深く暗く漂っている。
左岸の岩壁は高い、垂直に高く高く屹立している。
岩壁に囲まれて淀んだ暗い淵が終る上流には滑澤が滝で注いでいる。
長い瀞場の流れ出しには、上流を向いた山女魚が何匹も見えるのだった。

 さぁ…、今日こそ長年の夢を叶えよう。
平らになった大岩の上で素っ裸になった。
寒くはない。
そして海水パンツを履いた。
ザックは置いて行くことにした。
成功した暁に戻って回収すればよい。
カメラだけはケースごと手拭いに包んで頭の上に括り被った。
地下足袋に草鞋は履いた。
万一の為に五十米ザイルを木の根に結わえ付けた、
進む程に繰り出して行き、もしもの時は手繰って戻ることにしよう。
ヨ〜シ・・・行くゾ。
ザイルを持って大岩を少しづつ降りた。
『冷たい!』 『深い!深い!!』
まだ足は底地に着いていない、なのに首までもストンと浸かった。
『駄目だ!背が立たたん!!』
慌ててザイルを手繰って岩を捩り登った。
あまり必死に捩り登ったので、岩角で膝を擦り剥いてしまった。

 こうして私にとっては壮大な夢は、一瞬にして潰えてしまったのだった。
膝からの血が足首にまでも流れているのが侘びしかった。

                           
平成十七年(2005) 秋.




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