てんから庵閑話 谿の独り寝、古の亡者達と・・・(滝川水系 直蔵淵)


谿寝、古亡者達と・・・滝川水系 直蔵淵


 滝川を遡ると中流の金山沢出合い上に直蔵淵と呼ばれる深淵がある。
ここは、釣り人達の間では、「死人淵」と呼ばれてもいる。
その昔、近くの杣小屋で夜な夜な仲間とバクチを打っていた直蔵と云う杣がいて、
或る夜は、独り大勝ちし仲間の嫉みを買い、此の大淵に投げ込まれ溺死したのだそうだ。
そして、淵尻の岩には、此処で事故で亡くなられた谿愛人の慰霊プレートがはめ込まれています。

 それは、平成二年の夏の始まり、其処は滝川の美しい或る淵尻の事でした。

その日は、川又から森林軌道の残る林道を踏んで豆焼沢の出合いから滝川に降りて
釣り遡り此処に着きました。

深山の夜は早く、もう焚き火も消えてしまった。

“そろそろ寝ようか”私はソロテントに潜り込んだ。
どのくらい経ったことでしょう、一眠りしてしまったようです。
テントの外から人の話し声が聞こえてきたのです。

“どうしたのだろう・・・”
耳を澄ますと、それは切れ切れに聞こえてきました。
 「あぁ・・・うん あぁ・・・うん あぁ・・・うん」
 「あぁ 此処だね・・・うん」
 「あぁ 何故だろうね・・・うん」
 「あぁ 如何して・・・うん」
 「あぁ・・・うん」
“あれ、誰か来たのかな。沢屋さんのパーティだろうか…”
私はテントのジッパーを少し開けて外を眺めたのです。
外には誰れもいないのです、声も噤んだのでした。
美しい淵は、暗く黒く漣が月の明かりに白く光っていました。

“あぁ やっぱり・・・”私は感じました。

そして、暗闇に声を掛けたのです。
 「其処に居るのは、此処で天に逝ったという君かい・・・」
 「それとも其処に居るのは、僕の友達で逢いにきたのかい・・・」
 「あぁ・・・うん あぁ・・・うん あぁ・・・」
何時か、ザワメキは、だんだんと遠くなっていって聞こえなくなってしまったのでした。

谷川の水音だけがやけに高く聞こえていました。
 “あぁ もしかすると明日の朝にはもう目が覚めないのかもしれないな・・・”
 “あぁ それもまたいいのかもしれないな・・・”

翌朝目が覚めると、もう日が昇っていました。
美しい深淵は、何時もの様に蒼く光っていました。


                            平成2年(1990) 初夏.



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