てんから庵閑話 一番奥に棲むお婆さん


一番奥に棲むお婆さん  中津川水系

 昨日、スーパーへ寄った。
ひもかわウドン二袋 豚肉を一パック 白菜一株を、買った。

 今日は お婆さんは居るだろうか。
お婆さんの小屋を訪ねるのは久しぶりだ、憶えていてくれるただろうか。
ソット 小屋を窺い見ると 居た。
木々を括った背負い梯子を背負って働いている、冬支度だろうか。
今日も薄青い割烹着を着ている、今日も手拭いを冠っている。

 お婆さんに初めて逢ったのは、六年前だった。

 その日私は、此処の谷筋で山女魚や岩魚と遊んでいた。
急に空が怪しく暗くなって雷が来た。
辺りは暗くなって大粒の雨が落ちてきた。
時々、稲光が谿を眩しいほどに明るくした。
急いで谷から上がって、雑木林の帰り途を急いだ。
すると、途中の山の中に古い作業小屋が在った。

 戸が閉まってひるので、軒下で雨宿りをすることにした。
雷は酷かった、雷鳴も凄く雨も凄かった。
誰も居ないと思っていたら、戸が開いてお婆さんが顔を出した
びっくりした、その掘っ立て小屋はお婆さんの家だったのだ。
『すみません、少しの間 雨宿りさせて下さい。』 云った。
お婆さんは、黙って手招きをした “助かった”家の中に入れてもらった。

 六帖ほどの一間と、土間があった。土間には台所があった。
お婆さんは、土間でごそごそと動いてお茶を入れてくれた。
そして、小さなお皿に梅干が一個と少しの砂糖が乗せてあった。
お婆さんは、畳の上に畏まって座っていて、何も云わなかった
とっくに八十歳は過ぎて見えた。
薄青い割烹着を着て、手拭いを冠っていた。 
耳が遠いのか何を云っても、何も答えなかったし頷きもしなかった。

 やがて、山裾へと雷は去って行った。
聞こえないのかもしれないけど、お礼を云ってお婆さんの家を出た
振り返ると、お婆さんは何度も何度もお辞儀をしていた。
・・・・。

 次に行ったとき、梅干を持って行ってみた。
お婆さんは、何も云はなかったし嬉しそうでもなかった。
帰りに振り返ると、お辞儀をしていた。

 その次に行ったとき、うどんを持って行った。 
何故か、少しも嬉しそうでなかった。
振り返ると、お辞儀をしていた。

 そんなことが 何回かあった。
話をしたことは無い、笑ったことも無い、嬉しそうでもない。
いつも、熱いお茶と砂糖を乗せた梅干が出た。 

 そして 今日も お婆さんは居た。

 この辺りは、もう直ぐに雪が降る。
女の人は強い、我だったら一ヶ月で寂しさに狂い死ぬかもしれない。
お婆さんは何時からお婆さんだったのだろう。
若くて笑っていた頃もあったのだろうか・・・思った。

お婆さんの小屋の回りには、赤い実の生った奇妙な草が何本もあった。


                 平成17年(2005) 秋.
追 記

 三年ほどの後。 さる方から、ご連絡をいただきました。
『爺さんの言っている、お婆さんだとおもいます。 足腰が弱って、里に住む息子さんに引き取るられた、ようです。』


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