てんから庵閑話 リストラされた釣り人・・・、 

リストラされた釣り人・・・  浦山川水系 広河原沢


「釣り人」とは、釣りを通して自然を愛する人・・・、だと思います。 

 平成11年の4月は 春のことでした。
其の日は、嫌な堰堤がやっと無くなった浦山川の広河原沢の上流を
釣り遡っていました。
段差の少ない此の谷の落ち込みには必ず幾匹もの山女魚が遊んで
いました。
皆、上流を向いて揺ったりと鰭を動かして餌待ちをしています。
その内の一つの溜まりに毛バリを落すと流れる間もなく山女魚は飛び
ついて、“クン”と合わせれば銀白色の魚体がキラキラと光りました。

 『ヤッ お見事!山女魚ですね、いい型だ!。』
突然 直ぐ後ろで大きな声がしました。
『・・・・?!。』
“ギョッ”として振り向くと、ハンチング帽を冠った中年の男性が木の陰
から顔を出して居るのです。
『驚かせてすみません、ずっと後ろを付かせてもらっていました。』と云う
のです。
毛鉤を咥えた8寸程の山女魚は、竿を緩めると鉤から外れると大慌て
に岩影に隠れます。
『アァ もう隠れちゃった。山女魚なんですね、こんな山奥だから岩魚か
と思った。』
私がポカンとしていると、その男性は降りてきました。
『一つ 飲みますか。』 と云って缶ビールを差し出すのです。
『私、今はやりのリストラになっちゃって、それで渓流釣りを始めたんで
す。浦和に住んでいまして、何時もは福島へ行くのですが埼玉に住ん
でいて埼玉の渓流を知らなくては・・・と思い秩父に来てみたんです。』
そして 『もう少し後を付いていっていいですか、私は釣らなくってもいい
んですから・・・』 と云うのです。
“可笑しな人だナ”と思いました 『そうですか それでは・・・』 私は、後ろ
を気にしながらもそれから20分程も釣り上りました。
私は、釣れる度に少し得意になって振り返ると、其の人は少し離れた処
から“ニコッ”と笑って。
『お見事 お見事です。』と云ってはバチパチパチと手を叩くのです。
とっても気分が良くなってしまいました、ビールをご馳走になってしまっ
た為なのかもしれません。

 暫くすると、左岸から支沢の二工場谷が合う処に着きました。
この沢は水量が少なくて魚は棲みません。
『私は、此方の沢へ入るつもりです。この先を釣り上がったらどうですか、
そこそこ魚もでる筈ですよ』 と云うと、『そうですか、じゃぁやってみようかな
でも私に釣れるかなァ 私に釣れるかなァ。』 と とても嬉しそうです。

 私は二工場谷を少し遡ってから、綺麗な細い流れの傍でコーヒーを沸か
しました。そして美味しい寿司を喰い、気持ちよく少し昼寝をしました。

 帰りに沢の入り口まで戻ると林道の傍に、浦和ナンバーの高級そうな大
きな白い普通車が停まっていました。
『ワァ 釣れた、ワァ また釣れた。』 と 男の人の嬉しそうな仕草が想ひ浮
かぺられました。
“きっと 会社では偉ひ人だったに違ひナ・・・” と思いました。

木々が芽吹いた春の山は、風がとても心地良かったのです。


                     平成11年(1999) 晩春.


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