てんから庵閑話 釣り師と釣り人・・・、


師  釣人・・・

 “釣り師と釣り人” 共に竿を背負って奥山に分け入って其処の清冽な流れに
竿差すのでしょうが この“釣り師”と“釣り人”には判然とした違いがございます。

  昭和の初中期の釣り人に根岸治美という お人がおられます、奥利根の谷々
  を主として彷徨されたお方です。
  氏の釣り様を記した“語り(エッセイ)”は 自然と渓魚を愛し謳歌し 渓流人を魅了
  して止まず 私達に原生の奥域の峪々へと向かわせるものでした。
  二昔ほどの前の私も 氏の“語り”の一文一字を感じ漏らすまいと幾度も幾度も返し
  読みました。
  そして憧憬の奥利根に 根岸氏と同じ想念に浸りたい一心で 幾度も幾度も通い
  続けました。
  そして氏と同じ谷の水辺に立ち 同じ想念を得られぬ己をを嘆いたものでした。

  その根岸氏の 初期の頃であろうかと思われまする“語り”に こんな一文が語
  られていたを思い出すのです。


  
    『魚は 生きながらえていた。
     
 渓に水のある限り いつもさまざまな宿命を漂わせて・・・、
      私は やっぱり此処に来てよかったと思う。
      かって この渓を訪ねた頃、
      まだ通りすがりの釣り師として魚を釣ってきた私だった・・・、 
      だが・・・もうそうした“釣り師”ではなく、 
      自然に溶け込む“釣り人”にならなければならない。
      そう思いながら 私は その谷の水辺から離れた。』


 
(奥利根の何処やらの谷にダムが設けられ もう魚達は絶えてしまったか・・・と再び訪れてみたときの“語り”らし
   語られた書が手元に すでに在らず 二昔ほども前の虚々とした記憶から、正確でなくは ご容赦下さい。)

 
奥山でも たまに釣りする人に行き逢うことがございます。
  “釣り師”の方は たいがいが笑顔で『釣れましたか?。』 と聞いてまいります。
  “釣り人”の方は 何故か無愛想に会釈だけで通り行きます。
  そして 目が合えば 仕方なさ気に 『どうでした・・・。』 と問うのです。
  本当に 不思議なことです。
  どちらであっても 私は 何時も『良い釣りができました。』 と答えることにしています。
  これもまた 不思議なことではあります。


 
私は、何時までも“良い釣り人”であらん・・・と願っています。

                                        
平成4年(1992) 晩春.

釣り師は嫌いです、とくに腕技の優れた釣り師は嫌いです。 何故なら もはや渓魚の天敵だからです。 



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