てんから庵閑話 我ら爺達の谷へ…前編


爺達谿へ…前編  浦山川水系 某谷


 我ら爺達の谿は、秩父山塊の山襞に何箇所かある。
それらの谿は、これまで岩魚達は棲んでは居なかった。
我らは、其の下流から「こ奴こそが、此の谿の在来種であるぞ!」と
太鼓判を押した岩魚だけを生かし魚籠に入れて運び移した。
もう…かれこれ十五年程の前からのことだ。
或る谿は、細い流れが冬に凍てついて水が枯れてしまっていたのだった。
また或る谿は、水が合わないのか岩魚共は棲み付いてはくれなかった。
また或る谿は、大増水で押し流されてしまった。
そのまた或る谿は、岩魚共は殖えてくれたものの無慈悲な釣り師に知られてしまった。
流れの端に餌箱や空き缶が捨てられてあって憤慨もし意気は消沈した。

 我ら爺達の少ない仲間の半分は、既に喜寿を越えている。
だから、道程が三時間も四時間も歩く谿や
険しくて巻きの厳しい谿へは様子を観に行くことができなくなってしまった。
『さて、あの谿の岩魚共は元気にしているのかや…』 などと酎ハイなぞを飲みながら話す。
寒く厳しい冬を耐えて、釣りする者に覚られずに、
孫子を殖やしてくれればよいものだ…と願うばかりだった。
それは、余命の少ない我ら “己の存在の痕跡を幾らかでも残したい・・・” との思いからかもしれない。

 そんな中、
歳若の者(と云っても還暦は過ぎているのだが)で或る谿の様子を観に行こうと云うことになった。
其の谿は、浦山川の某支流の支流の枝谿だ。
谿の名は無い、地元では有るのかもしれないが聞いたことは無い。
支流との出合いには滝が架かっていて、水は少なくチョボチョボだ。
釣り師が覗いたところで、百に一つも “入ってみようか” とは、思わなかろう。
もう、十三年も前のことだ。
我らは、偶然にその谿を見つけた。
何度か通って、隅から隅まで見て回ったが魚の棲む気配は全くなかった。
下を流れる支流の岩魚はどうも混血交雑くさい、
一つ尾根を越えた隣りの谿の源流部から在来岩魚を移したのだ。
その年の初夏の頃から秋にかけて四回ほど、三十数匹を移した記録がある。

 その後、あまりに細流なので真冬の寒中に谿へ入ってみた。
流れは、氷で閉ざされていたが、その下に僅かに水は流れていた。
ある年の春、溜まりを覗くと一寸程の稚魚が遊んでいた。
夏に出かけてみると、流す毛バリを七寸の親魚が追いかけた。
こんな細い流れでは、気の毒なことに大きくは育たぬらしい。
もうかれこれ七年以上も前の話だ。

 以来は覗いていない。
さて…、如何なんだろう。
奴らの孫子や曾孫は元気に棲み暮らしているのだろうか。
七号の棒毛バリを二本、孔雀胴で巻くことにした。
お土産に、少しのイクラと縞ミミズを沢山獲って行こう。


                                
平成19年(2007) 初秋.


        奥武蔵タイプ 七寸




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