てんから庵閑話 我ら爺の赤岩魚の峪


赤岩魚峪・・・ 滝川水系 某谷



 我ら爺達は健やかだ。
浮世の遊び連休に負けてはならじと、我らの峪へと向かった。
スズタケの生える杣道を、喘ぎつつも三時間程も歩いた。
そして、大石の転がる峪を一時間程も遡った。
そして、四丈の滝を攀じり登ったのだった。
そして、やっとに着いた、此処は我ら爺達だけの峪だ。
多分誰も知らない、地図にだって水線は描かれていない、山皺があるだけだ。

 十年もの前の夏の終わり、もの凄い大雨があった。
もの凄く増水して峪に水は溢れた。
棲んでいた赤岩魚共は、一匹残らず流されて滝下に落ちてしまったのだ。
その後、何度も探査に通ったのだが、やはり一匹も確認することは、できなかった。

 我ら爺は愕然とした、自然の恐ろしさに畏怖もした。
愛しい赤岩魚共は、唯の一匹も残って居なかった。
悲劇であった、カスリン台風にもキティ台風にも台風28号にも耐えたのに・・・。
それでも三年は待ってみた。
赤岩魚共は、やはり一匹も姿を見せなかった。

 我ら爺は、四丈の滝下から赤岩魚を上げた。
ザイルを手繰って、生かし魚篭は若い者が背負わせた。
歳の爺は、まろび落ちて岩魚と一緒に黄泉へと向かってはいけないからだ。

 そしてまた、十年ぶりに我ら爺の峪へ来たのだった。
そっと落ち込みの溜りを覗いた。
『や〜 居る居る居ゃぁがる、野郎共は棲んでやがる!』 花爺が頓狂に叫んだ。
爺達は代わる代わる覗き込んだ、『棲んでる増えてる、子供も居るぞ〜ぃ』
クマ爺が、自分で育てた縞メメタを缶に一杯峪に流した 『ソレ ご馳走だ』 と云う。

 喜びの雄叫びを挙げよう、
棟梁の坂爺が音頭をとった。
 『マンセ〜! マンセ〜!』 なんで?
お神酒は戴かなかった、帰りの足元が危ういからだ。
 『マンセ〜! マンセ〜!』 なんで?
坂爺が云うには、北朝鮮では『万歳〜』と叫ぶのを『マンセ〜』と叫ぶらしい。
きっと、テレビで観た知識だろう。
なんでもいい、奥秩父の原生の山峪に我ら爺達の雄叫びは響き渡った。

帰りに「大滝の湯」に浸かった。
此処では、“マンセ〜” と叫ばなかった、北朝鮮の人と間違はれるからだ。
北朝鮮にも岩魚は棲むと聞く、何時か国交が正常化したら皆で行こう。
 “我ら爺は不滅だ、奥秩父の赤岩魚も不滅だ”


                               平成16年(2004) 夏.



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