漂泊の記 バラクチ山ノ神を訪ねて


大洞川水系  バラクチ山ねて



新大洞林道から見る、牛の背のようなバラクチ尾根

雲取山の西、三ッ山(1949)から派生した此処大洞川を挟んで和名倉山と対峙する。
今の大洞林道は大洞川の左岸を道広くして惣小屋沢へと向かっているが、古の大洞林道本線は、
荒沢谷の出合いから、このバラクチ尾根を登り上がり三ッ山へと登る。
そしてその途中の林道の分岐にバラクチ山ノ神は在るという。分岐した支線は惣小屋沢へ降り立つ。

昭和の初期に此処を辿った原全教は、雨の中に腹を減らし眩暈さえするふらつく足取りで山ノ神まで一時間
分岐から下って惣小屋へ一時間を要したのだそうだ。(牛耳社刊 「奥秩父」より)


新大洞林道が抜けた今、バラクチ尾根を経た古の大洞林道本線筋に山ノ神は在った。
古を偲ぶ酔狂者しか通らぬだろう僅かな踏み跡の途に、人待ち顔で建っていたのだった。
大洞林道本線のバラクチ尾根部を辿るには幾つかの目的がありました。

 一、今も、尾根上を辿る古の本線・支線の道筋はあるのか。
 二、バラクチ山ノ神に詣でること。
 三、バラクチ山ノ神の建立された年月日を調べること。
 四、時間の許す限り三ッ山方向へ上がり、大洞谷を右岸から眺めること。

でした。
今回の散策のもとになった
原全教の「奥秩父 続」(牛耳社 刊) 概念図の部分を拝借して載せておこう。
原氏は此の日、三峰から歩きに歩いて此処バラクチ尾根から惣小屋へ降り
立った時は、腹が減って眩暈がしてふらふらであったそうだ。

無論のこと、今の雲取大洞林道は開通していない。
幾ら丼飯を五杯も喰らう豪の者とは云え、山道を三峰から惣小屋まで・・・素晴
らしい踏破脚力と感嘆してしまう。

原全教氏の記すバラクチ尾根辺り概念

荒沢橋袂の広場
甲州国界の三ッ山から派生してくるバラクチ尾根は長大である。
井戸沢と荒沢谷を分けて和名倉の南面にせり出した様は、
和名倉の方向から見ても、仙波尾根方向から見ても、鈍重な牛の背のようである。

朝日に照る和名倉山の東面を眺めながら大洞林道を車を走らせる。
晩秋の朝は遅く途は暗い。市ノ沢の切れ込みを見送るともう直ぐに荒沢橋だ。
途中に、東仙波の高稜を正面に大洞川の上流を望める広場がある。
其処に一台の車が停まっていた。
広場の突端に座って大洞川の上流の陽の射した山々の絵を描いている人が居る。
“こんな風景を描けるなんて、なんて羨ましいことだ”己の画才の無いことを憂いた。
(後日知ったが、サイトで誼を戴いている杣道さんだったのだった)
秋口台風の時の増水で崩落したのだろう、恐ろしい量の砂礫を林道に落とした処
を恐る恐るに通って荒沢の広場に着いた。此処にも車が一台停まっていた。

辺りに人は居ない“紅葉散策にでも上流へ向ったのだろうか”
荒沢に降りて顔を洗う“冷たい!”谿水は、もうこんなにも冷たいのだ。
“さてと…”握り飯を一個、リポDを飲みながら食べ腹ごしらえをする。

09:00、小屋脇から僅かな踏み跡でバラクチ尾根に取り付く。
途はジグザグの稲妻状に急斜を九十九折れに登る。
ワイヤーのある場を過ぎると岩場の瘠せ尾根、足元を確かめつつ登る。
真下は既に遥かの大洞川、左手下の荒沢谷の瀑声が轟々と騒がしい。
巾一歩の痩せ尾根を伝い登ってグングンと高度を上げる。
9:45、尾根が途絶えて一旦の平坦地になる。既に踏み跡は全くなく不安がつのる。
またもや痩せ尾根に取り付く。此処の尾根は細い、恐いので細木を掴まりながら登る。

10:00、尾根が終って開けた平坦地。
荒沢と大洞を分ける尾根の上に山ノ神があった。
“見つけたぞ! 見つけたぞ、バラクチ山ノ神”。
荒沢の大洞林道を登り来る旅人を眺め待つかのように建っていた。
祠の横の神木であったのか、大木は雷に打たれてか朽ちて倒れ臥していた。
早速、御縁玉をあげて詣でた。
何しろ、山ノ神は山を司る神で女神であるらしい、怒らせ怒りをかうと恐いそうだ。
だから男性が参ずるのは喜ぶと云う。“こんな年寄りでも宜しいか…”不安でもある。
後ろを失礼して建立年を見る、昭和九年十月十日とある。
“やっぱりな…”一つの疑問は解けた。
昭和五年以前に此処を辿った原全教氏の大洞林道本線の記録に、バラクチ山ノ神
の記述はない、昭和三十年に辿った河野寿夫氏の記録には記されているのだ。
“大洞山ノ神は、両氏が記録しているのに何故にバラクチ山ノ神は一方に記されて
いないのか…?”そうか建立されたのは、両者の訪れた間だったのだ。

しばし、此の山ノ神の前の小平地に座り込んで休むことにした。
相当に高度を上げている為か、耳を澄ましても大洞も荒沢の谿音も聞こえて来ない。
大洞の対岸は、和名倉に喰い込んだ仁田小屋沢の思いのほかに浅い切れ込みだ。


バラクチ山ノ神

眺む松葉沢の頭から惣小屋沢の切れ込み

10:30、“そろそろ行こうか、尾根を登って大洞谷を右岸高くから眺めたい…”
帰りは惣小屋沢の出合いに降りるつもりなので下り途を確認しておく。
両氏によれば、此処が途の別れで一方は三ッ山へ登り上がり、一方は惣小屋へ降り下るのだ。
山ノ神の脇に僅かに下に向かう途があるよう見える。
辿ってみると凄まじいガレ場の最上部に出た。
仁田小屋沢出合い部上の崩落場であるらしい。
とても先の小尾根に辿り着けるものではない、滑れば数百b下の大洞川に落ちることになる。
再び山ノ神に戻り、尾根伝いに登ることにした。
踏み跡らしきは全く無く広い稜線を外さないことに神経を使う、ややもすると逸れてしまうのだ。

11:00、尾根の突端に出た。(後で判ったが、地理院の地図上の1132m地点辺りであった)
向かう前面は急落して大洞谷であるらしい。
右手に小尾根が続き下に伸びている。
対岸は松葉沢ノ頭、その先に惣小屋沢の切れ込みが望める。
“よし、この小尾根を下れば惣小屋の出合いだ。帰りは大丈夫、時間はまだある…”
“大洞谷を右岸から眺めよう…”いよいよ高く続く尾根を三ッ山方向に向けて登った。
行く手の左側に此処より高い尾根があるのが判った。
何時の間にか、曲がりたどって惣小屋側に向かって派生している尾根に乗っていたらしい。
“まあいい…此の儘に上れば尾根は一つになる筈だ”
11:30、左手に見えていた尾根と一つになった場所に出た。
うろうろと尾根筋を確認したが踏み跡らしきはない。
やはり、原全教氏の云う大洞林道本線は既に消え絶えてしまったのだろうか。
此処は、地図上の1250b辺りであろう。
のっぺりと横巾の広い尾根途中の平地だ。
今日の探索は、此処までとした。
付近は枯れたスズタケが繁り栂の木が多くて視界は良くない。
荒沢谷側は比較的穏やかに落ちていて上に大きな尾根が派生している。
大洞谷側を覗けば、急落していて黒木の密林が鬱蒼として凄まじいばかりだ。
原全教氏は云った。
『鳥も啼かないこの幽林に呼吸を静める時、咽ぶが如く訴えるが如く心音の様な
渓声が響いてくる』

あの大洞谷の核心部のキンチヂミの通ラズへは、
“もう歳だ、此の大洞谷の通ラズへはもう向かうことはなかろうな…”
いや挑むことはできなかろう…、思うと寂しい気もした。
足下の浅い切れ込みは、三ッ釜へ落ち込む無名沢であるらしい。
先のこんもりとした黒山の向こう側の切れ込みが川胡桃沢のようだ。
谷向こうの対岸の同じ高さの大な尾根が見えるのは仙波尾根、
少し下方に見える続いた岩壁が大洞山ノ神から続くソゲ岩であろう。
“この風景を眺められたことで満足だ…”
何時ものように日当たりで寿司折を食った。
今日は珈琲の代わりに渋い番茶を持って来た。
“なかなかいける…、やはり寿司には熱い番茶だな…” 至福の一時である。

12:00、晩秋の日の暮れは早い、何事かあってはいけないので帰途につくとした。
上り来た途を辿ろうとしたが、今来た道筋が判らない。
“ええい 侭よ…、尾根を外ずさねば迷うことはない…”
尾根の背中らしきを、ぐんぐんと下り降りた。
何度かは鹿道に入り込んでしまい、気が付けば尾根から外れかかっていた。

12:30、しだいに狭まってくる尾根を伝いおりた。
踏み跡らしきが現れてくると、小平地に降りた。
谿音が大きく聞こえて、大洞谿筋が近いことが知れた。
突然に開けて、小平地には半壊した廃小屋が建っていた。
鉄パイプで組まれた小屋で比較的に新しい。
仕切られた処に木製の風呂桶があった。
「東芝乾電池販売店」のホーロー看板が転がっているのは面妖であった。

比較的新しい廃小屋

古い杣小屋跡
鮮明になった踏み跡を降りると杣小屋跡が幾つかある。
柱梁は朽ち果てて跡形もなくお定めの無印の青い瓶が沢山に転がっていた。
こちらは、古い時代のもので山稼の杣の宿泊所であることが知れた。
左手に巨木がある、幹回りは三抱えほどもあって大洞谷へと幹枝を突き出している。
狭まった急斜の瘠せ尾根をを細い木々を掴まって降りること暫し。
13:00、谿へ降り立った。
場所は、惣小屋沢との出合い下、大洞川の低い最終堰堤の上だった。
昔、此処に惣小屋沢命名の元となった無人小屋が在ったという。

この惣小屋の在った場所について何時か調べたいと思っている。
何故なら、小屋の在ったという場所は云う人々、その時々によって四箇所なのだ。
前述の河野氏は、此処大洞川の右岸に在ったと記し。
原氏は、惣小屋沢の出合った処、つまり大洞谷の左岸に在ったと記されている。
そして原氏は地元のイワナ釣師のお爺さんと同宿しイワナを馳走になったのだった。
また或る人は、小屋はもっと上流の大洞谷の右岸、三ッ釜の下手に在ったと云う、
確かに平地が在る。
また或る人は松葉沢の右岸で在ったとも云う。
それぞれ時代の途中、洪水や崩落から建て替えられたのかもしれないが、
深く興味を抱かせる事の一つである。

惣小屋沢の出合い

新しい大洞林道
13:30、松葉沢に絡む踏み跡で新しい大洞林道に上る。
この夏に何度か辿り来た林道を下る。
林道から仰ぎ見るバラクチ尾根はやはり鈍重な牛の背のようだ。
“あの辺りが山ノ神であったろうか、いやその上かも知れんナ…”
秋の陽は短い、頂の稜線を仰ぎ指呼しながら荒沢の広場へと急いだ。






                     平成19年(2007) 晩秋

逍遥 時間
   荒沢広場〜山ノ神=一時間   山ノ神〜廃小屋=二時間(道崩落で迂回)   廃小屋〜惣小屋沢出合い=三十分

帰途 時間
   (新大洞林道にて)  惣小屋沢出合い〜松葉沢脇の林道の分岐=三十分    林道の分岐〜荒沢広場=一時間



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