爺 漂泊の記 冠岩の廃集落と小谿を訪ねる
浦山川水系 冠岩の廃集落と小谿を訪ねる
冠岩沢は、本谷の浦山川が広河原谷と名を変える上流で右岸から注ぎ入る支谿です。 冠岩沢は林道広河原から分岐した冠岩集落へと向かう林道に沿って流れ。中流域で二俣、支流の鳥首沢を合わせます。 林道の終点、鳥首沢との出合いの二俣の台地に廃集落はあります。 |
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南向きの山斜面に階段状に十戸程もの集落があったのだそうです。 昭和の頃に、世情の移り変わりとともに山での生活も移り変わり集落の人々は 此処を離れていったのでしょうか。 遂には、此処冠岩集落は廃集落となってしまったのです。 訪れば、斜面の階段状の石組みの上に朽ちて倒壊した家々が残ります。 此処の集落に暮らしていた方々の姓は皆が「上林(かんばやし)」だったそうです。 |
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棲む人のない廃屋の間を辿り行くと、集落を見おろすように社がありました。 古は、村の鎮守の社だったのでしょう。 秋には楽しみなお祭りもあったのかもしれません。 今は、訪れる人も居なくなり荒れていました。 社の祠には、瀬戸物の小さなお地蔵さんが沢山に転がっていました。 倒れた地蔵さんを拾い立て並べてみました。 神木とも云うべき側らの巨木の梢に風の音がするだけでした。 想い出しました・・・。 そう云えば、此処を訪ねる何時の時も、風が木々の葉を騒がしていました。 そして、何時の時も何処かで人の話声が聞こえて来るような気がするのです。 |
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社の裏手の杣道を降りて行くと、谿には最終の苔に覆われた堰堤があります。 流れは、ほんの一跨ぎの細流です。 この上に、朱点で装った岩魚達は棲んでいるのでしょうか。 古への思い出を語り継いで、彼らは今も棲んでいるのかもしれません。 杣の子供達と、追いつ追われつして遊ぶことを待って・・・。 如何であるにせよ“釣る”を目的に辿る谿ではありません。 廃集落となってしまった冠岩集落の人々の思いを、 彼らの中に残しておこうではありませんか。 |
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最終堰堤から遡ると谿は小滝に落ち込みで落差を整えます。 やがて左岸に、地名の名の元となった冠岩の高い岩峰を左岸に見送ると、 狭間となって15mの斜瀑を前衛に険悪なゴルジュが始まります。 「七ッ滝の悪場」と呼ばれる処です。 杣道は、此の悪場を右岸に高く登って巻いています。 |
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右岸の巻き道を使わずに滝の真近を辿ってみることにします。 15mの滑の斜瀑を前衛にしていよいよ悪く右岸を落ちぬよう登ります。 10m程の大滝を三つほど右に左に神経を使って巻き登るのです。 やっと穏やかになると、高く巻いた右岸の杣道は降りてきて谿に沿います。 そして、遂には三段構えの25mの一枚岩の豪壮な大滝に行く手を塞がれるのです。 大滝下には、炭焼きの石積み跡や古い山葵田跡があって往時の杣人達が偲べます。 暫しは、古の感慨に浸りましょう・・・か。 赤く装った岩魚は棲んでいました。 村人達が、また戻って来るのを待っているのでしょうね・・・。 先に申したように小型で健気、釣りの対象ではありません。 此処冠岩は、やはり古の感慨に浸ることに致しましょう。 平成10年(1998) 初夏. |
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逍遥 時間 広場〜廃集落〜大滝 = 3時間半 | |
帰途 時間 大滝〜広場 = 1時間 |