爺 漂泊の記 松葉沢の百軒杣小屋跡を訪ねる
大洞川水系 松葉沢の百軒杣小屋跡を訪ねる
もう十年以上の前に惣小屋沢を覗き見た帰りに此処の松葉沢に立ち寄ったことがある。 盛んに惣小屋沢の堰堤が構築されている頃であった。 まだ時間に余裕のあった其の日、まだ入谿したことの無い松葉沢を辿ってみようか…と谿に入ると植林の準備をしている人が数人居た。 其々の人が苗木を担ぎ、少し上ってから斜面に植え付けるのだそうだ。 『此の谿は魚が棲んでいるでしょうかね?』聞くと 『俺は釣りをしねえから判らねえけど居ねえんじゃない荒れ沢だから、上の方に百軒小屋があるなぁ知ってるけど・・・』 釣り遡ってみると最終堰堤までは山女魚が居た。 堰堤上は本当にガレが堆積して魚の棲む様相でなく、暫くすると水は枯れてしまいまった。 それでもと遡ると、水流は復活したり伏流したりと繰り返して遂にはガレに潜り込んだ儘になってしまった。 フト、目を上げると谿は二俣で二俣の間は緩斜面になっていて無数の石積みが、晩秋の陽の中に、ひっそりと在ったのだった。 そうだ 『百軒小屋・・・』へ行ってみよう。突然に忘れていた記憶の細胞がはじけたかのように、その時の寂しい風景を思い出したのだ。 |
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大洞林道の荒沢橋広場に着くと既に二台の車が停まっていた。 その一台の傍らには、これから谿に降りるのか、盛んに素振りをしているフライを振る独行の方が居た。 『今日はいい天気ですね、きっと山女魚の奴、毛鉤に飛んで出るでしょうね…』 『そうだといいんですが・・・』 少しの間、談笑した。 新芽の吹く随分と荒れた大洞林道を、ゆっくりと歩いた。 大洞川から吹き上がる谿風は心地よかった。 |
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林道を一時間程もゆっくりと時間をかけて辿り松葉沢に架かる橋に着く。 沢筋を遡ると堰堤が五基もあって、 其の都度に右岸を左岸をと巻き登らねばならなかった。 それでも堰堤と堰堤の間には、慌てて逃げ隠れる山女魚が見えた。 「平成元年」と銘盤の埋め込まれた堰堤を過ぎると、もう姿は無かった。 |
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堰堤の端の左を捩り登って堰堤の上に出ると。 谿は上流から流れ運ばれて来たのだろう、 累々とガレが堆積した荒れた谿相であった。 |
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谿は、スリ鉢状で両岸ともにザレ気味である。 そんな右岸の沢身から少し上がった処が台地状になっている、 登って見ると、一軒分の小屋跡であった。 お決まりの無印の青ビンに錆びた一斗缶が散乱していた。 |
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暫く遡ると、谿は岩床になって小滝が続いてから五b滝。 とても良い落ち込みの溜まりもある。 そっと覗くのだか魚の姿は無い、棲んでいないのだろう。 棲むには荒れ谿に過ぎるようだ。 |
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更に遡れば二俣に至った。 見上げると二俣の間に階段状に石積みが幾つも在る。 “此処だったっけ、百軒小屋跡は・・・” 晩秋に辿った時とは幾分と違って華やいでみえた。 芽生えた木々の黄緑と明るい陽射しのせいだろう。 その数は百軒はなかろうが、ゆうに三十程もの小屋跡平地がある。 その一つ一つには、あの青い壜が幾つも転がっているのであった。 和名倉山の木々伐採期の南面の基地だったと聞く。 暫くの時間、一つ一つの小屋跡平地を歩いて回った。 二俣の本谿は、ガレを堆積させて上流に向かい、左俣は穏やかに上が る。沢筋には僅かな踏み跡があって、松葉沢ノ頭へ登り更に市ノ沢の頭 へと続いているのだそうだ。 木々を透かし見ると鈍重なバラクチ尾根尻が目の高さで、続く其の向こ うの三つ山が真近に望めた。 平成21年(2009) 春. |
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逍遥 時間 林道の松葉沢橋〜百軒杣小屋跡の在る二俣=2時間 |
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帰途 時間 百軒杣小屋跡〜松葉沢橋=45分 |