漂泊の記 古えの釣橋小屋は倒壊


滝川水系 釣橋小屋倒壊



今の釣橋小屋は(平成)
今は朽ちて倒壊してしまった 木々が生い茂って
原生の中に埋まりつつある、
釣り橋も腐り朽ちて渡れない。

古えの釣橋小屋(昭和)
国道も無論無く 川又より夜明けから一日歩いて辿り着くこの小屋は
岩魚の骨酒を酌み交わし さらに奥域へ挑むを誓ったもの、
そして歌う蛮声は 流下する水音にも負けなかった。
赤い豆焼の大橋から眺めれば・・・只 愕然とする、
オールドタイマーの釣り人には信じられない光景を目にすることになります。
昔、川又から今ある国道下の森林軌道を半日かけて此処に着いたものでした 便利になったと思うよりも寂しさがつのるのです。

出会いの丘とワサビ沢の人造連瀑帯
此処の谷にも昔は 赤い岩魚達は棲み遊んでいたのだけれども、
・・
雁坂の大橋
なんと ゴセの滝は豆焼橋の下 ホチの滝は雁坂橋の真下に、




豆焼の大橋の袂 林道の入り口
 出会いの丘の立派な駐車場へ停め置いて少し下れば豆焼の大橋です。
赤い長い大橋を渡ります 国道は此処で奥秩父トンネルへと入ります。
 橋の上から周囲を眺めれば 本当に随分と変わってしまいました。
川又から滝側の左岸に沿う森林軌道途を半日以上をかけて此処の下の
辺りに辿り着いたものでした・・・が 2尺の岩魚が棲むと聞いて・・・。
トンネルの左側に林道があります ゲートがあって一般車は入れません。

 林道の入り口には道標とともに警察からの注意書きの立て札があります、
「この奥滝川の奥地は険しく転落事故・道迷いが多く発生しています・・・」
といった内容で入峪する者への充分な注意と心構えを促しています。
 とても事故が多いのです、安易に向かうべきではありません。

 
 舗装された林道を向かうと峪側にコンクリート造りの建物があります 
“奥秩父トンネルの電気室”と記されてあります。
やがて林道の舗装は無くなり山側からの落石もあって気を付けて歩く
ことにいたします、
 しばらくすると広場になっていて終点です。
対岸は和名倉の重厚な山陵 滝川の流れは遥かの下で流れの音も
聞こえません。
広場の奥端に登山道の入り口があって「雁坂小屋へ・豆焼橋へ」との
登山者の為の道標が立っています、下に立てかけてあるお馴染みの
「クマに注意!」が単独行の私にはとても不気味です 熊除け鈴を付け
ることにします。
 少し休憩をします、こんなに良い天気で こんなに爽やかなのに
先を急ぐこともありませんから・・・。


林道終点からの登山道への道標

登山道から釣橋小屋方面への杣道の分岐
 登山道を暫く行くと分岐です、登山道は此処から上の黒岩尾根を伝って
八丁頭へと登ります、峪へ向かって降りる踏み跡もまだ薄くあるようです、
以前は対岸の沢小屋沢出合い上に降りられたのですが 今は本谷を渡
る吊り橋は朽ちて崩落してしまいました。

 
原 全教 語り 「黒岩尾根を辿る小径は鍼葉樹の密林を行くは原生、所々
 に露出する小さな崖壁を桟橋で通じたりする為に、そこからの水晶谷の
 眺めは大したもので豆焼をも加えた瀧川全部に亘る廣大なものである。」

 と。 私はまだ此処から上に登ってみたことはないのです。

 さて正面の滝川の上流へ向かう杣道を辿り行くことにします 杣道は明瞭
に続いているようです。
 平坦な杣道を少し行くと 古い道標がありました「此処は八丁坂」懐
かしいことです。
 山腹の斜面の細々とした杣道を辿ります、眺望はききませんが木々
を透かし眺めれば和名倉山の山嶺に曲沢と金山沢の襞が望めます。
滝川の流れの音は微かで それよりも鳥達の鳴く声が騒がしいのです。
 
 此処の少し先が小尾根になっていて「鳥獣保護区」の看板がたって居て
小尾根沿いに谷側へ降りる薄い踏み跡が峪方向へ分岐しています。
踏み後は途中で分岐していて、ヤセ尾根沿いに真っ直ぐ降りれば 二段
に構えた大渕の直蔵淵下へ、上手へ向い小尾根を行くと 直蔵淵の上、
下手へ向い窪を降ると金山沢の出合いへと向かえるのです。
直蔵淵は下段が広い大淵、上段が狭間内に暗澹たる深淵になっており
昔 直蔵という人が博打で一人勝ちして あげくに仲間から此処の淵
に落とされて殺されてしまった との曰くが残っています。
淵下は“鹿の湯”と呼ばれる処で 何時も鹿の糞が沢山あるのです。
此処で遭難された方の鎮魂プレートが岩盤に埋め込まれてあります。

 

杣道にある古い道標

杣道を割る新蔵小屋沢
 少し岩壁が露出してきて少しの間道は細まって お助けの残置ロープ
に縋って行けば急斜な新蔵小屋沢を横切ります。
 そして次に また小屋跡の平坦地のあるガレ沢を残置ロープで降りて
渡るのです、平坦な小屋跡台地があるので こちらが新蔵小屋沢なので
しょうか 定かには判りません。(ご存知のお方様は お教え下さい)
 また 杣道を少し上に外れて慰霊石碑があります。
秩父営林署々員の八木との名の方の慰霊鎮魂碑です。 
氏が赴任されて来ての間もなく 職員とともに此処に木桟橋を架ける工事
の際に転落し亡くなられたのだそうです、享年27歳とあります。
遠く古えの 大正時代のことなのです。
 杣道は岩肌の露出した小尾根へ登ります。
火打石(岩)です。
誰が書いたものか「火うち石」と赤ペイントされています、そばに会名
でしょうか一緒に書かれていますが、無粋で無風流なものです。
岩の小尾根は峪へ向かって突き出ていますので気持ちよく休める
処です 渡り来る風が爽やかなのです。


 火打石の岩壁の横に巨木があって少しの溝があります。
その細々とした流れに竹を細工した水飲みが設けられていました 
湯飲み茶碗も一個置いてありまして 誰方が・・・、
直ぐの前に「火打水」と筆書きされた木札が結んであります。
木札の裏にお名前が記されてありました“小島”様 その風雅なお心
根に敬意を表します。
 “火打水”は 清く冷たく とても美味しく戴けました。

小尾根となって火打石

設けられている水飲み

滝川上流へ向かう杣道
 そしてまた斜面にある杣道を少し登ったり少し降ったりしながら行く
のです。
相変わらずに滝川の流れは遥かの下なのです。
 この辺りに来ると 対岸の高みに“八百の頭”が望めてきます。
そして その先には槙の沢の山の切れ込みが見えてきます。
 クマ笹が繁ってきて “熊除けの鈴”をわざとに高らかに鳴らしたく
なってもまいりました。
 スズタケが身の丈よりも深く繁っての中を割るように行くのです。

「鳥獣保護区」の看板があって 杣道の分岐です。
下方向へ向かえば“槙の沢”の出合いへ降りられます。
降りる 最後が急斜なザレ場で少し難儀な処なのですが。
 槙の沢を目的地とするならば此処からでなく 少し元に戻った処に
分岐があって薄い踏み跡が槙の沢の出合いに向って伸びています。

杣道の分岐

スズタケと栂の大木
 此処の辺りは 巨木の多い処です。
二抱えも三抱えもある栂の大木などが沢山にそびえているのです。
南東面のせいなのでしょうか 明るく開けた気持ちの良い処です。

 そんな中を辿り行くと杣道はガレ気味の窪の中をジグザグと降り
始めます、降りるにしたがって滝川の流れの音が少しづつに近づ
いて来るのです。
そして 小尾根を過ぎると急斜なガレ場になり踏み跡も判り難くなる
のですが もう滝川上流の流れが見えてきました。
二昔前は此処をトラバースするように釣り橋へと向かうのでした。
しかし 今は釣り橋は腐って渡れません、だから 少し手前を降りる
のです。
此処の道筋はよく覚えておきましょう。
大分の昔に此処の場所で道を見失いガレ場を登り過ぎてしまって
2時間程も彷徨ってしまったことがあるのです、登りから横の小尾根
に向う踏み跡にある目印と地形をシッカリと今日は覚えておきます。
それでも帰りの天候は・・・、棒を立て目印を付けておきましょうか。
 
 ゴロタを足を挫かぬよう転ばぬように注意して渓に降り立ちます。
滝川の本谷は大岩の渓相です 箱淵を過ぎたこの辺りは巨岩帯な
のです。
 釣り橋は・・・何処? 小屋は・・・何処?
そう 釣り橋も 小屋もまだ在るには在るのですが。
 少し上流を眺めて見ましょう 何か“緑の棒”のようなものが峪を
横切っています。 

釣橋小屋下の滝川の流れ

朽ちた釣り橋
 “緑の棒”のようなものは釣り橋でした、木橋に蔦が一面に絡んで
いるのです。
朽ちて既に渡ることは出来ません そして その向こう側の釣橋小屋
は 倒壊してしまいました、今は周りの木々が其処を埋めようとしてい
ます。
原 全教 語り 「河身には山中としてはよい釣橋が架かって居る、揺
れるのは激しいが板を張ってあるから危険はない。釣橋を渡ると橋の
袂の直ぐ上手の右岸の小平地に釣橋小屋がある、前は瀧川本流の
激しい怒聲でしかも餘り陰気でもない。」 
と。
此処から 更に上流へ向う途 そして槙の沢の中流へ向かう杣道は
まだ 存在するのでしょうか・・・何時かに辿ってみたく思います。

 
幾霜月の過ぎるのは とても早いものです。
小屋前に佇めば オールドタイマーの釣り人達の
    焚く灯火と歌声が いまも 聞こえてくるような気がいたします。

 さて 今日は 少しの感傷に浸れましたので この橋の下で
    ほんの少し お神酒を飲んでから 帰途につくことに致します。
 少し戴き過ぎてしまいましたので この上流の三本桂沢先から始まる
    あの峡間は足元がおぼつかなくて突破できないでしょう・・から。

 余 話
   帰り途、新蔵小屋沢を過ぎての頃から 遥かの下の方から何やら大きな声がするのです、誰かが大きな声で歌を唄っているような。
  行く程に少しづつその声もハッキリとしても来て、やはり歌を唄っている 聞き覚えのある そうユーミンの何かの歌のよう、只 歌の合い間に
  只ならぬ『ウー クソー』とか『わー チクショウ』とも叫んでいるのです。
  『オーイ どうかしたかー』と叫んでみると、少しの後に『ハーイ』と答えて『ヨカッター そこは道ですかー』と叫ぶ 『ソウダョー』と答えれば『少
  しそこに イテクダサーイ』と言うのです、そしてまた『ウー クソー』とか『わー チクショウ』と 只ならぬ言葉を発するのでありました。
  暫く『ドッチですかー』『コッチだー』のやりとりの後 ヒョイとスズタケの中から釣り支度の40代の汗まみれの男が顔を出して『アー助かりました』
  この人、山薊橋から滝川の本谷に降りて釣り遡り、金山沢出合いの大淵が抜けられずに登って来たのだそうだ。
  踏み跡が判らず懸命に上がってきたそうで、熊が出そうで恐くて歌を唄い、穏やかならぬ絶叫は行く手を阻む笹や木に向けたり転んだりした
  時に叫んでいたのだそうなのです。
  フライ釣りの人で 嬉しそうに型の良い山女魚を数匹見せてくれました。“こんな釣り人との出逢いも乙”と 豆焼橋まで一緒に戻ったのでした。

                                                                    
平成13年(2001) 夏.
  

(逍遥 時間)         出会いの丘〜(30分)〜林道終点〜(15分)〜登山道との分岐〜1時間〜火打石
                   火打石〜(30分)〜杣道の分岐〜(45分)〜釣橋小屋下の滝川の渓  計=3時間
                            (遊びながら休みながらの ゆっくりとした歩みでの時間です)



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