漂泊の記 裏股林道で出逢った人


入川水系  裏股林道(荒川林道)で出逢った



                                                  原全教 著「奥秩父」より、入川谷概念図
 『オ〜ィ そっちは道ですか〜』

急斜の僅かな踏み跡を喘ぎながら登っていると、突然大きな声がした。
声のした方を振り仰いでみると、なんと対岸の岩場の上に人が居る。
“なんで 向こう側に居るんだ・・・なんで? 如何いうつもりなんだ…。”

此処は、「ゴンザの滝」を左岸で巻いた上の悪場で、狭間の中に三メートルほどの滝が連続して連なる処。
其の日、私は大赤沢から高く登った入川左岸沿いの股ノ沢林道を一時間半ほど歩き林道の踏み跡と分かれて金山沢
出合の入川を渡って裏股林道(旧荒川林道)へ出て柳小屋へ向おうと金山沢を僅かな踏み跡を辿って遡っていた。

『オ〜ィ』と手を振ると、『そっちは道ですか〜』と叫ぶ。
『そうだ〜』と叫んだ、『・・・・・』首を傾げているふうだ。
『そっちは道ですか〜』とまたもや叫ぶ。
轟々とした瀑声で聞こえないらしい。
腕を上に上げて丸(○)を作った。
その人も腕で丸を作って、なんと下に降り始めた、岩崖を降りてから此方に来ようとするらしい。
対岸の其の下は十メートルほどの直立した崖場になっている。
“なんだなんだ 如何するつもりだ・・・”
『ピッピッピィ〜ピッピッピィ〜』熊除けの笛を吹いた。
其の人は此方を見た。
私は腕を上げてバッテン(×)を作り、上流を回り渡って此方側へ来るよう手振りで示した。
やっとに了解したらしい。
同じように腕を上げて丸(○)を作り、上に登り始めて岩陰に見えなくなった。

座り込んで対岸のモミ谷の頭を眺めた、緑が異様に青く牛の背のように大きい。
あそこに連なる尾根筋の何処かに戦国時代に武田氏が金採掘した名残りの清光寺跡があるはずだった。

熊除けの鈴音が近づいてきて、バンダナをし白髪混じりの髭の男が現れた、歳の頃は同じ位であろうか。
『ヤ〜、ありがとうございました、目印に惑わされてしまって・・・ハッハハハ』
『あっちは沢登りの人が楽しむルートなんでしょうね、ホラ あそこの途中にハーケンが打ってある。』
『危ない危ない、落ちたら一たまりもないところだった。』
日に焼けて痩身の、その男は無遠慮に並んで腰を下ろした。

昨日、股の沢林道で柳小屋へ泊まり此の裏道を巡って帰る途中なのだ、と云う。
『あぁ 私は逆コースでこれから小屋に向かうところです』
『煙草、吸いますか?、死なずに済んだお礼です。』とハイライトを一本取り出して火を着けてくれた。
『ありがとう、ご馳走になります・・・。』

『奥秩父は、いいところですねぇ』
『えぇ、奥秩父はいいところです』
煙草を燻らしながら、二人は三十分ほども鈍重な山々を眺め谿の流れを讃えた。
著名な釣り会に属していて、二十年も関東の山域で山釣りを楽しんでいると語った。
白髭の男は、下って入川の本流を渡って股ノ沢林道へ、私は先の二俣左岸から柳小屋へ。
『道は僅かだが付いていますから。突き出したピークに繋がる鞍部を越えるのがね、チョッと辛い・・・。
 それから、だらだらと下って松葉沢を渡ると柳小屋前の吊橋先の真ノ沢林道に合います。』
『もう大きな滝はありませんよ、小滝の巻き降りは殆どが左岸です。左岸から合う枝沢を見れば直に入川の出合です。』
お互いに辿り来た途道を教え合った。

『それでは お気をつけて・・・』
男は谿に沿う急坂を降り、私は急坂を登った。
『お世話さまでした〜、また何処かでお逢いしましょう。』深いスズタケの向こうで声がした。
『ピッピッ ピィ〜』 私は笛を吹いて答えた。

                                               平成11年(1999) 夏.

谿友の白髭爺との出逢いである。
ときどきに思う。
“何故に山は、偶然のように装って人を出逢はせるのであろうか・・・”。
きっとこれも、山の神の為せる業なのであろうな・・・と。


戻 る

inserted by FC2 system